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ダ・ヴィンチの2枚目のモナ・リザを鑑定してみよう! アイスワースのモナ・リザの真贋鑑定

 

 

「アイスワースのモナ・リザ」とは?

 

 「アイスワースのモナ・リザ」とは、1913年にイギリス貴族の邸宅で発見された、両側に柱のある「モナ・リザ」です。

 

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 レオナルド・ダ・ヴィンチが「モナ・リザ」を描き始めたのは1503年であると考えられています。その根拠の一つは、ダ・ヴィンチの工房に出入りしていたラファエロが1504年に描いた「モナ・リザ」のスケッチの存在です。

 

 

 ところが、このスケッチは、私たちが知っている「モナ・リザ」と異なり、両側にがあるのです。一方、私たちの知るルーヴルの「モナ・リザ」には柱はありません。さらに両側を切り取った形跡もありません。

 

 

 このため、多くの専門家は、「柱のあるモナ・リザ」が存在したのではないかと考えていました。上述の「アイスワースのモナ・リザ」はラファエロのスケッチの「柱のあるモナ・リザ」ではないかと考えられているのです。

 

 「アイスワースのモナ・リザ」は、ルーヴルの「モナ・リザ」よりかなり若く見えますが、一部の専門家の鑑定ではダ・ヴィンチの真筆であるとの結論に至っています。日本のテレビ番組でも真筆として紹介されています。

 

 

 しかし、このモナ・リザは怪しさ満載なのです。

 

 まず、どこぞの匿名の組織が所有していて一般公開はされていません。また、鑑定も密室で行われ、関わった専門家も一流どころではないのです。さらに、その後の鑑定もまったく行われていません。怪しい…怪しすぎます。

 

 きっと、組織の息のかかった鑑定家に金を握らせて「真作である」と言わせたに違いありません!なんと言っても、もしダ・ヴィンチの真筆なら1000億円にはなるはずですから。

 

 そこで、本項では独自に「アイスワースのモナ・リザ」の真贋鑑定を行います。

  

 

「アイスワースのモナ・リザ」の鑑定をしてみよう

 

 モナ・リザには「アイスワースのモナ・リザ」以外に有名な複製画が3枚ほどあります。

 

 一番有名なのは「プラドのモナ・リザ」で、オリジナルとほぼ同じ時期に、同じ工房内でレオナルドの弟子によって作られたと考えられています。

 

 

 もう一枚の「サライのモナリザ」は弟子のサライによって制作されました。

 

 

 下図の「エルミタージュのモナ・リザ」は作者は不詳ですが、16世紀中頃に制作されたと思われる、とてもクオリティーの高い複製画です。

 

 

 では、この3枚のうち、出所の明らかな弟子のモナ・リザ2枚を使って簡単に「アイスワースのモナ・リザ」の真贋鑑定をしてみましょう。

 

 まず、ダ・ヴィンチの工房で制作されたと考えられている「プラドのモナ・リザ」と「サライのモナリザ」をモノクロに変換してみます。さらに、オリジナルの「モナ・リザ」と「アイスワースのモナ・リザ」もモノクロに変換します。

  

 左上がオリジナル、右下が「アイスワースのモナ・リザ」、その他2枚は弟子の作品です。

 

 

 この4枚を顔を中心に重ねます。そうすると、すべての顔のパーツが襟首までしっかり重なります。4枚の絵はかなり違うように見えますが、実はパーツの位置関係はすべて同じなのです。しかし、この状態では、手が全く重ならないことがわかります。

 

 

 一方、手を重ねると指もすべて一致しますが、襟首から上がまったく重ならなくなります。

 

   

 顔や手のパーツがオリジナルと完全に重なることから、弟子たちはオリジナルを写し取って複製画を作ったことがわかります。

 

 さらに、手と顔のパーツが同時には重ならないことから、弟子たちは「襟首から上」と「襟首から下」の2枚の型紙(カルトン)を使って、キャンバスに下絵を転写したものと推測できます。

 

 弟子たちは師匠の「モナ・リザ」を型紙(カルトン)を使ってキャンバスに転写し、そこに色をつけて作品を制作したのです(いわゆる模写ではない)。弟子の作品では、2枚の型紙の位置が少しズレているため、顔や手など部分的にはオリジナルと重なるものの、すべてが同時には重ならないのです。

 

 ただ、モナ・リザの背景部分はまったくオリジナルと重なりません。したがって背景には型紙が無かったと考えられます。

 

 

 「アイスワースのモナ・リザ」も弟子たちのモナ・リザと同じ2枚の型紙を使っています。このことから、「アイスワースのモナ・リザ」は、レオナルド ダ・ヴィンチの真筆ではなく、工房の弟子の作品であることがわかります。

  

 ダ・ヴィンチの真作は木板に描かれていますが、「アイスワースのモナ・リザ」を含め、弟子の作品は安価なキャンバスに描かれています。恐らく、この作品は弟子たちがスフマートの練習をするために制作したのでしょう。

 

 一見「アイスワースのモナ・リザ」の方がオリジナルより若く見えますが、これは影のつき方の差(スフマートの差)に過ぎません。パーツの位置関係はまったくオリジナルと一緒です。この弟子はかなり上手ですが、スフマートの範囲がオリジナルと若干異なるため、若いモナ・リザになってしまったのです。

 

 さらに、「アイスワースのモナ・リザ」の場合、両側に柱がありますが、ルーヴルのモナ・リザにも柱の台座部分の一部が描かれています。オリジナルの「モナ・リザ」より横長のキャンバスを使った弟子が、気を利かせて両側に柱を描き込んだのでしょう。

 

 と言うわけで、「アイスワースのモナ・リザ」はダ・ヴィンチの作品ではないのです。これで私は謎の組織に狙われる可能性が出てきました。もし、このブログの更新が途絶えたら暗殺されたと思ってください。

 

 

「サルバトール・ムンディー」も鑑定しよう

 

 ついでですが、世の中には「モナ・リザのヌード・バージョン」だと言われている作品も数点あります。下図はレオナルド・ダ・ヴィンチの弟子サライの描いたヌード・バージョンです。

 

 

 この絵は、モナ・リザよりも「サルバトール・ムンディ」(下図)に似ています(性別は違いますが)。

 

 「サルバトール・ムンディー」は、ダ・ヴィンチの贋作とされていましたが、近年真作ではないかと言われはじめた作品です。議論が別れる中、最近オークションで絵画史上最高値で落札され、世間をざわつかせました。

 

 

 では、2枚を重ねて見ましょう。ヌードのモナ・リザはアルカイック・スマイルを浮かべていますが、それを除けばこれらの2枚は目、鼻、口、顎のラインまで完全に一致します。

 

 

 この結果から、サライのヌードは、「サルバトール・ムンディー」の型紙を使ったものと考えられます。ダ・ヴィンチの工房には師匠の作品の型紙(それも首から上と下に分かれた)があり、それを転写して弟子たちは作品を作っていたのでしょう。

 

 サルバトール・ムンディは真贋が疑われていますが、この結論から言えば真作です。型紙があるということは、ダ・ヴィンチ本人の作品であると考えて差し支えないでしょう。

 

 正確な真贋鑑定は筆致を観察したり、顔料を分析したり、X線撮影をしたりと手間がかかりますが、実際には画像だけでも色々なことがわかります。ぜひ試してみてください。新しい発見があるかもしれません。発見したらご一報を。

 

 

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