新・ノラの絵画の時間

西洋美術史・絵画史上重要な画家たちの代表作品と生涯をまとめました。

レオナルド・ダ・ヴィンチと黄金分割 ルネサンス絵画が目指した理想美

 

 

ルネサンスの絵画が目指した調和

 

 ルネサンス時代、画家は絵画で二つのことを目指しました。

 

 一つ目は、透視図法を用いた構図、解剖学に基づいた人体、光学に基づいた陰影、そしてヒューマニズムに基づいた人間内面の表出など、当時の先端科学と人間性に基づいた「リアリズム」です。

 

 二つ目は、黄金比率(当時はまだ黄金比率という言葉はありません)などの数学的要素に基づいた「理想の美」です。

 

 現実をありのままに捉えようとする「リアリズム」と「理想の美」は、必ずしも一致するものではありませんが、ルネサンスの巨匠たちは両者の調和を模索しました。その最も完成された形は、ラファエロの作品に表れていると言われています。

 

   本項では、ルネサンス時代の「理想の美」、特に人体の「プロポーション」「黄金分割」について簡単にまとめました。

 

  

人体のプロポーションと普遍的な美

 

 ルネサンスでは、古代ギリシアやローマの学問が見直されたため、ギリシア人の考えた人体の理想的なプロポーションについても再注目されるようになりました。

 

 古代ギリシアでは、人体比率の理論が確立されており、「カノンの法則」と呼ばれていました。古代ギリシア・ローマの人々は、神々や宇宙と繋がっている人体は理想的な比率を持っていると考え、これを解き明かそうと思っていたのです。

 

 カノンの法則は、紀元前5世紀から4世紀初頭のギリシア人の彫刻家・建築家のポリュクレイトスの著書「カノン」に由来します。

 

 ポリュクレイトスは「理想的な身体は、数学的に定義された身体のパーツが、正しいプロポーションと関係性の上に構成されていなくてはならない」と考え、オリンピック選手の身体を測って理想的な人体の比率を決定し、その比率に基づいて彫刻を制作しました。下図はポリュクレイトスの「槍を持つ人」です。

 

 

 ローマ時代の建築家マルクス・ウィトルウィウス・ポッリオ(紀元前80〜15年)は、世界最古の建築理論書「建築論」の中で「建築は人体と同様に調和したものであるべきである」と述べています。彼は、理想的な人体の比率を数字で定義し、建築に応用しようとしました。

 

 ルネサンスになるとウィトルウィウスの理論が再注目され、彼の算出した比率に基づいて複数の「ウィトルウィウス人体図」が制作されました。

 

・ハインリヒ・コルネリウス・アグリッパ(1486年〜1535年)

・チェーザレ・チェザリアーノの建築論(1521年)

・アルブレヒト・デューラーのVier Bücher von menschlicher Proportion(1528年)

 

 

  

 

 特に有名なのがレオナルド・ダ・ヴィンチ「Uomo vitruviano」です。uomoは人間、vitruvianoはウィトルウィウスを指します。

 

 

 1485〜1490年に描かれたこの素描では、中心の男性の手足が円と正方形に接しています。ドローイングには鏡文字(鏡に映すと読める左右逆の文字)で、「ウィトルウィウスの著作に基づいて描いた男性人体図の習作」と書き込みがあります。

 

 しかしながら、このドローイングはウィトルウィウスの比率を忠実に再現したものではなく、一部の比率にダ・ヴィンチによる修正が施されています。

 

 ダ・ヴィンチをはじめとするルネサンスの画家たちは、古代ギリシアの芸術家と同じように、数学的比率の中に普遍的な美を見つけ、絵画においてそれを再現しようとしたのです。

 

 

 レオナルド・ダ・ヴィンチと黄金分割

 

 人体のプロポーションと同じく、ルネサンス時代に再注目されたのが「黄金比」もしくは「黄金分割」と言われる比率です。一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか?

 

 

黄金分割ってなに?

 

 「黄金比」もしくは「黄金分割」とは、最も美しいとされる比率であり、分割法です。その比率は1:1.618・・・となり自然界や幾何学の世界ではたまに出てくる数字です。

 

 たとえば、五角形の辺と対角線の長さは黄金比の関係にあります(下図1枚目 a : b)。また、黄金比の長方形から正方形を切り取ると、黄金比の長方形が得られます(下図2枚目 m : n = n-m : m)。

 

 

 

 上記のような縦が1で横が1.618・・・(現代ではφで表します)の長方形は安定感があり、人間が最も美しいと思う形だと言われてきました。

 

 古代ギリシアの彫刻家ペイディアス(Phidias 紀元前490〜430年)はパルテノン神殿を黄金比を使って設計したと言われています(下図)。

 

 

 レオナルド・ダ・ヴィンチも黄金比を作品中で使用したと言われており、現代ではその比率は名刺やカード、キャンバスなどに使用されています。(下図 モナ・リザおよび最後の晩餐の中に見られる黄金比)

 

 

 

黄金比の歴史

 

 黄金比はその特異的な性質のため、古代から特別視されてきました。古代ギリシアの数学者ユークリッド(Euclid 紀元前325〜265年)は、初めて黄金比を数学的に定義し、「ユークリッド言論(Elements)」に書き残しました。

 

・12世紀になるとイタリアの数学者レオナルド・フィボナッチフィボナッチ数列を発見します。フィボナッチ数列は植物の茎や葉のつき方などに見られる数列で、この数列の比は黄金比に収束することがわかっています。

 

 また、1辺の長さがフィボナッチ数の正方形を下のように並べていくと、外周の長方形は黄金比の長方形に近づいていきます。

 

 

・1498年、ルネサンスの数学者で理論家のルカ・パチョーリ(Luca Pacioli 1445〜1517年)は著書「De divina proportione」の中で、さまざまな比率について論じました。タイトルのDivinaとは「神の」、「神聖な」などの意味であり、divina proportioneとは、今でいう「黄金分割」を指します(当時はまだ黄金比という言葉はありませんでした)。

 

 

 De divina proportioneは3章で構成され、1章めにユークリッド幾何学を含めた数学的観点からの黄金比の研究と応用が含まれています。この著書には60枚の挿絵があり、すべてをレオナルド・ダ・ヴィンチが描いています。

 

 

 

 

 De divina proportioneは、1509年に出版され、現存するのは2冊のみです。ルネサンス期で最も重要な書籍と言われており、現在ではAmazonでコピー版を購入することが可能です(私も持ってます)。

 

 ちなみに、上記の「M」の文字はニューヨークのメトロポリタン美術館のロゴになっていたそうです(現在は違いますが、確かに昔ニューヨークに住んでいた時にはこのMだった気がしなくもない…)。

 

・1835年、ドイツの数学者マルティン・オームが彼の著書「初等純粋数学」のなかで「黄金比」という言葉を初めて使いました。

 

・20世紀初頭ジェイ・ハンビッジが黄金比を主体とした「ダイナミック・シンメトリー」理論を発表。この中でハンビッジは、パルテノン神殿を含む古代の建築物に黄金比が含まれていると初めて主張しました。

 

 しかしながら、パルテノン神殿などの古代建造物は、設計図が残っているわけでもなく、現在ではこの説は肯定的には受け取られていません(先出の写真では黄金比のようにも見えますが、かなり怪しいのもまた事実です)。

 

 

レオナルド ダ ヴィンチと黄金分割

 

 古代ギリシア人は黄金比に興味を抱いていましたが、「黄金比」=「美しい」とする記述はありません。彼らの黄金比に対する興味は純粋に数学的なものでした。

 

 黄金比が美しいとされるようになったのは、20世紀のジェイ・ハンビッジによる「ダイナミック・シンメトリー」理論以降です。

 

 では、それ以前のダ ヴィンチは本当に作品に黄金比を使ったのでしょうか?

 

 先ほど述べたようにモナ・リザの顔は黄金比率であると言われています。下の図を見ると確かにモナ・リザの顔はちょうど長方形の比率になっています。

 

 

 しかし、実は今回の長方形は、先出の図とは異なり黄金比ではありません。この長方形の比率はAシリーズの用紙の比率です(A4とかの)。気がつきましたか?気がつかなかったでしょう?

 

 このように線の引き方一つでモナ・リザの顔の比率は変わってしまいます。さらに、人間の目は「1 : 1.618(黄金比)」と「1 : 1.5」や「1 : 1.7」などの微妙な差を見分けることはできません。

 

 ダ・ヴィンチのウィトルウィウス人体図にも黄金分割が現れると言われていますが、8頭身をヘソのところで3:5に分けるとたまたま黄金分割の近似値が得られるだけのことです。

 

 レオナルド・ダ・ヴィンチに関していえば、黄金分割を意識して使った形跡は特にありません。ダ・ヴィンチが黄金分割を使ったというのはいわゆる都市伝説の類です。

 

 

黄金分割は本当に美しいのか?

 

 では、黄金分割は本当に美しいのでしょうか? 人間の目の精度からすれば怪しいですよね。でも、実際に実験している人たちもいるのです。

 

 研究者のグスタフ・フェヒナーは、さまざまな比率の長方形から、被験者に好みの長方形を選ばせる実験を行い、「黄金比は多くの人が好む比率である」との結論に達しました。

 

 しかし、その後、バリエーションを変えた実験が数多く行われ、フェヒナーに肯定的な結果と否定的な結果の両方が得られており、現在に至っても結論は出ていません。

 

 ただ、多数の論文をまとめると、西洋人は正方形や極端な長方形(長〜い長方形)よりも、どっしりとしたレンガのような長方形を好む傾向にあります。

 

 一方、日本人は西洋人と異なり正方形を好むという論文があります(Berlyne et al., 1970)。この論文では、好みには文化的背景があると結論づけています。

 

 Berlyneは 「西洋では黄金比が美しいとされ、あらゆるところで目にする。一方、日本ではなじみが薄い。数多く目にするパターンは脳内に刷り込まれ、その人にとって理想的な形となっていく」と考えました。

 

 彼の考えに従えば、芸術とは学習の上に成り立っており、文化的背景が異なる人々の間では美しいと思うものが異なるということになります。我々日本人には西洋絵画の本質は理解できないのかもしれません。

 

 また、彼の説が正しければ、特定の絵画のみを学習すると、学習したパターンに従う絵画を好み、パターンに従わない絵画に対して拒絶的になるという現象も理解できます(偉い先生にありがち)。

 

 このような状態を「審美眼が育った」というのかもしれませんが、「学習による呪縛が完成した」と解釈することもできるでしょう。やっぱり、先入観を持たず多くの絵に接することが必要なのでしょう。

 

 

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