新・ノラの絵画の時間

西洋美術史・絵画史上重要な画家たちの代表作品と生涯をまとめました。

ダ・ヴィンチのコデックス(手稿)まとめ ダ・ヴィンチが遺したノートの一覧と解説

 

 

レオナルド・ダ・ヴィンチのcodex(手稿)ってなに?

 

 Codex(手稿)とは、レオナルド・ダ・ヴィンチが遺した5000枚を越えるノートやスケッチのことです。内容は、絵画論、数学、建築、植物、解剖、土木、発明、機械工学、地理など極めて多岐にわたり、なかには語学の練習ノートまでも含まれています。

 

 

 Codex(手稿)は10冊以上存在し、彼の生前のメモが何でもかんでもグチャグチャ入っている状態です。でも、この手稿の存在こそがダヴィンチの興味の広さを示し、彼が「万能人」と呼ばれる大きな理由なのです。

 

 Codexの文字は左右が逆転した鏡文字で書かれています。これは、アイデアを盗まれないようにするためであるとする都市伝説がありますが、普通の人は鏡文字でもとくに苦労なく読めてしまいます。ダ・ヴィンチは左利きだったため、この方が書きやすかったのではないか、という説の方が説得力があります。

 

 ダ・ヴィンチは、これらをいずれ出版するつもりだったのだろうと考えられています。でも、彼は、晩年仕事がなくヒマだったのにも関わらず何もしていません。本当は出版する気はなかったかもしれません。

 

 ダ・ヴィンチの死後、codexは彼の一番のお気に入りの弟子メルツィ(Melzi)がすべて相続しました。ちなみに、絵画はもう一人の弟子サライが相続しています。

 

 しかしながら、メルツィもcodexを出版するまでに至らず、レオナルド・ダ・ヴィンチのcodexは散逸してしまいました。その後、ダ・ヴィンチの死後161年を経てCodex Urbinas (ウルビナス手稿)のみが「絵画論」として出版されています。

  

 散逸していたcodexは、各地で発見され、編纂されて、現在は手稿として図書館や博物館に収められています。Codexは内容で整理されているわけではなく、通常発見された状態でまとめられ、名前が付けられているため、内容には統一感がほとんどありません。

 

 

レオナルド・ダ・ヴィンチのcodex(手稿)のリストと解説

 

Codex Atlanticus (アトランティコ手稿)

 この手稿は12巻で構成され、1119ページともっとも厚く、重要なものです。1478〜1518年頃に書かれたノートで、内容は武器、楽器、数学、植物学、飛翔に関するものなど多岐にわたります。現在はミラノ・アンブロジアーナ図書館に収蔵されています。

 

 

 

 

 

 

Codex Arundel (アランデル手稿)

  1478〜1518年頃に書かれた機械工学、地理など諸々についてのノートです。283ページからなり、アトランティコ手稿に次いで二番目に重要な手稿です。現在はロンドン・大英図書館に収蔵されており、下記にアクセスすると全て無料で見られます。

 

http://www.bl.uk/manuscripts/FullDisplay.aspx?ref=Arundel_MS_263

 

 

 

 

Codex Leicester (レスター手稿)

 1506〜1510年頃に書かれた36ページほどのノートで、内容は天文学、化石、水、岩など多岐にわたります。

 

 1994年、3000万ドルでビル・ゲイツが購入した史上2番目に高い書籍です。ちなみに、ゲイツは年に一回だけ世界のどこかでこの手稿を一般公開する義務があります。1ページ1億円程する手稿ですが、正直言ってアトランティコに比べるとたいした内容ではありません。私なら3000万ドルは出しません(正確には出せません…だな)。

 

 

 

Codex on the Flight of Birds(鳥の飛翔に関する手稿)

 1505年頃書かれた36ページからなる、鳥の飛翔に関する研究が主体のノートです。現在はトリノ王立図書館スミソニアン博物館に収蔵されており、以下のページからpdfで全て無料でダウンロードできます。

 

https://airandspace.si.edu/exhibitions/codex/

 

 

 

Codex Madrid(マドリード手稿)

 マドリードは、l、l lの二巻構成になっています。マドリードIは1490〜1499年、マドリードIIは1503〜1505年のノートが中心で、内容は機械工学、地理学など多岐にわたります。

 

 マドリードIは184ページ、マドリードIIは157ページでスペインのマドリード図書館に収蔵されています。コーネル大学図書館よりマドリード Iのみ無料でダウンロードできます。

 

http://ebooks.library.cornell.edu/k/kmoddl/toc_leonardo1.html

 

 

 

 

Codex Trivulzianus(トリヴルツィオ手稿)

 1487〜1490年のノートで、もともと62枚でしたが、現存するものは55枚です。語学学習のためのノートが主で、軍事関連などのメモも含まれています。ダヴィンチが活躍したスフォルツァ城のトリヴルツィアーナ図書館に収蔵されており、基本的に一般公開されることはありません。

 

 

 

Codex Urbinas (ウルビナス手稿)

 ウルビナス手稿は、唯一出版された手稿です。レオナルド・ダ・ヴィンチの死後、手稿を相続した弟子のメルツィによってまとめられ、1542年頃にフランスで初めて印刷されました。

 

 その後、1651年にRaffaelo du Fresneによって、「レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画論(On painting / A Treatise on Painting / Trattato della pittura)」としてイタリアで出版されています。

 

 「絵画は科学である」というのがレオナルド・ダ・ヴィンチの一貫した主張です。レオナルド・ダ・ヴィンチは、2次元の平面に現実と見まごうような3次元空間を描くことが絵画の理想と考えていました。

 

 そのためには、遠近法や光学、解剖学などの知識を総動員する必要があり、そのような知識をもって描かれた絵画こそが芸術の最高峰であるとしています。 

 

   

 

Pariser Manuskripte (Paris Manuscripts)(パリ手稿)

 

 1487〜1515年頃のノートで964ページ、12冊からなるアトランティコ手稿に次いで長い手稿です。内容は科学、機械工学、建築学など多岐にわたります。現在はパリ・フランス学士院が持っています。

 

 

 

 

Codex Ashburnham(アッシュバーナム手稿)

 1487〜1490年頃のノートでCodex Ashburnham IとCodex Ashburnham IIの2巻構成、合計44ページからなります。

 

 もともとパリ手稿の一部でしたが、1840年代にGuglielmo Libriが盗み、それをAshburnham伯爵が買い取ったものです。その後、パリに戻されましたが、現在でもパリ手稿とは独立した手稿としてまとめられています。  

 

 

 

Codex Windsor(ウィンザー手稿)

 1478〜1518年頃のノートでイギリス・ウィンザー城・王室コレクションとなっています。以下のURLからイギリス王室コレクションで検索ができます。

 

https://www.royalcollection.org.uk

 

 特に解剖のスケッチ「Anatomical Manuscript B」「Anatomical Manuscript A 」、胎児のスケッチ「Studies of the Fetus in the Womb」が有名です。

 

▶︎もっと詳しく! ダ・ヴィンチと解剖学の歴史

 

 

 

 

Codex Forster(フォースター手稿)

 1487〜1505年頃のノートで、3巻構成です。フォースターI、54ページ、フォースターII、158ページ、フォースターIIIは94ページからなり、数学、建築学、肖像画、その他スケッチなどを含んでいます。現在はロンドン・ヴィクトリア&アルバート博物館に収蔵されています。

 

 

 

 

 レオナルド・ダ・ヴィンチのcodex(手稿)以外の作品

 

 

Uomo vitruviano(ウィトルウィウス人体図)

 ローマの建築家マルクス・ウィトルウィウス・ポッリオ(紀元前80〜15年)は、人体の理想的比率を決定し、その比率を建築に応用しようとしました。彼は「建築は人体と同様に調和したものであるべきである」と考えていたのです。

 

 ルネサンスになるとウィトルウィウスの理論が再注目され、この比率に基づいて複数の「ウィトルウィウス人体図」が制作されました。

 

 特に有名なのがレオナルド・ダ・ヴィンチのUomo vitruvianoです。uomoは人間、vitruvianohはウィトルウィウスを指します。

 

 ドローイングには鏡文字(鏡に映すと読める左右逆の文字)で、「ウィトルウィウスの著作に基づいて描いた男性人体図の習作」と書き込みがあります。しかしながら、このドローイングはウィトルウィウスの比率を忠実に再現したものではなく、一部の比率にダ・ヴィンチによる修正が施されています。

 

▶︎もっと詳しく! ダ・ヴィンチと黄金分割

 

 

 

De Divina Proportione

 「de divina proportione」は数学者ルカ・パチョーリ(Luca Pacioli 1445〜1517年)の著書であり、レオナルド・ダ・ヴィンチよる60枚の挿絵が入っています。Divinaとは「神の」「神聖な」などの意味であり、divina proportioneは今でいう「黄金比」を指します。

 

 この本は1498年に書かれ、1509年に出版されており、本自体は現在2冊しか残されていないそうですが、ルネサンス期で最も重要な書籍の1つとされています。

 

 

 

 

イモラの地図

 1502年、レオナルドは軍人であり政治家のチェーザレ・ボルジア(Cesare Borgia)の技術者として、都市イモラの測量を行ない、精確な地図を作成しました。

 

 この地図は当時の他の地図と違い、装飾性がなく縮尺も正確で実用的であるため、現代の地図制作に繋がったと言われています。レオナルドは地球の半球を4分割する世界地図なども開発しており、「地図の父」の一人に数えられています。

 

 

 

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