新・ノラの絵画の時間

西洋美術史・絵画史上重要な画家たちの代表作品と生涯をまとめました。

初期ルネサンス絵画の主要画家と代表作品一覧(後半) ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロの先生たち

 

 

 

初期ルネサンス(1400〜1490年代)の画家と名画(後半)

 

初期ルネサンス後半の画家と名画の注目点

 

 初期ルネサンスの後半では、第3世代と呼ばれるポッライオーロ、ヴェロッキオ、ボッティチェッリなどの画家たちが現れます。この画家たちの指導で、盛期ルネサンスに活躍するダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロなどが誕生します。

 

 特に重要な画家はポッライオーロ、ヴェロッキオ、ペルジーノ、ギルランダイオ、ボッティチェッリの5名です。

 

 ポッライオーロは、ボッティチェッリの先生、ヴェロッキオは、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ペルジーノ、ギルランダイオの先生で、さらにペルジーノはラファエロの、ギルランダイオはミケランジェロの先生です。みんなフィレンツェに住んでいるのでどこかで繋がっています。

 

 1477年からはローマでシスティーナ礼拝堂の建設がはじまり、ペルジーノ、ギルランダイオ、ボッティチェッリは巨大なフレスコ画を礼拝堂に描いています。これらの作品は、彼らのマスターピースとなっています。 

 

▶︎関連記事 

 初期ルネサンスの主要画家と名画一覧(前半)

 システィーナ礼拝堂のフレスコ画一覧

 

 

初期ルネサンスの主要画家と絵画一覧(後半)

 

アントニオ・デル・ポッライオーロ(Antonio del Pollaiolo, 1429/1433〜1498) 

 フィレンツェの画家、彫刻家、彫金師。アントニオの多くの仕事は弟ピエロ・デル・ポッライオーロとの共同作業です。ポッライオーロ兄弟の工房は、後述のヴェロッキオの工房と並んでフィレンツェ最大でした。この二つの工房から、盛期ルネサンスを支える巨匠たちが誕生しました。

 

 アントニオは先述のアンドレア・デル・カスターニョの助手か、または、ロレンツォ・ギベルティと同じBartoluccio di Micheleの工房の助手、もしくは、ギベルティの弟子だったとする説があります。

 

 ポッライオーロ兄弟は大の筋肉好きで、解剖学に興味を持ち、実際に解剖も行なっていたようです。彼らの近所にはダ・ヴィンチが住んでおり、ダ・ヴィンチは彼らに解剖の手ほどきを受けたのではないかと言われています。

 

 アントニオはダ・ヴィンチに解剖を教えただけではなく、ボッティチェッリの師匠だったとする説もあります(ただし、確証はありません)。ボッティチェッリは最初にフィリッポ・リッピに弟子入りし、その後、アントニオか後述のアンドレア・デル・ヴェロッキオに師事したのではないかと考えられています。

 

 

 

 

コズメ・トゥーラ(Cosmè Tura, 1430〜1495)

 フェッラーラで生まれ、パドヴァのフランチェスコ・スクァルチォーネに師事しました。フェッラーラ派創始者の一人。フェッラーラのデステ家がパトロンとなり、のちに宮廷画家となっています。国際ゴシックとルネサンス様式の影響が見られます。

 

 先出の「人体短縮法」を開発したマンテーニャもフランチェスコ・スクァルチォーネの弟子です。コズメは後述のフランチェスコ・デル・コッサと共同でエステ家・スキファノイア宮殿のフレスコ画を制作しています。

 

 

 

 

フランチェスコ・デル・コッサ(Francesco del Cossa, 1430〜1477) 

 父親のクリストファーノ・デル・コッサに師事。コズメと同じくフェッラーラ公爵デステ家がパトロンでしたが、面積当たりいくらという支払い方法に不満があり、40歳でボローニャに移ってヴェンティヴォーリオ家の支援を受けました。 デステ家・スキファノイア宮殿のフレスコ画をコズメ・トゥーラと制作しています。

 

 

 

 

アンドレア・デル・ヴェロッキオ(Andrea del Verrocchio, Andrea di Michele di Francesco de' Cioni 1435〜1488)

 フィレンツェの彫刻家・画家・彫金師。ドナテッロもしくはフィリッポ・リッピに師事したのではないかと考えられています。後述のピエトロ・ペルジーノ、ロレンツォ・ディ・クレディ、レオナルド・ダ・ヴィンチなどの弟子がいました。

 

    さらに、ドメニコ・ギルランダイオもヴェロッキオ工房出身で、ボッティチェッリも一緒に仕事をしていました。まさに、ヴェロッキオの工房は当時の芸術のメッカです。ヴェロッキオの死後、工房はクレディが引き継いでいます。ちなみにギルランダイオはミケランジェロの師匠、ペルジーノはラファエロの師匠ですです。

 

 この頃フィレンツェの2大工房は、先述のポッライオーロ工房とヴェロッキオ工房で、何かにつけ争っていました。ダ・ヴィンチはポッライオーロ工房のメンバーに男色で訴えられたこともあります。

 

 下図1枚目は、ヴェロッキオとダ・ヴィンチの合作です。天使と背景をダ・ヴィンチが担当しました。ダ・ヴィンチの出来栄えを見て、ヴェロッキオは絵筆を折り、二度と絵を描かなかったという逸話があります(でも、描いてます)。

 

 

 

 

メロッツォ・ダ・フォルリ(Melozzo da Forlì, 1438頃〜1494)

 15世紀イタリア・フォルリ派最高の画家です。同じくフォルリ派のバルダサーリ・カラッリ・ヴェッキオに師事していました。

 

 特にマンテーニャ「身体短縮法」を極めたため、その後下から見上げる目線を「melozziana(メロッツィアーナ)」と呼ぶようになりました。本来ならマンテーニャの名前をつけるべきですよね。「マンテーニャーナ」みたいに。  

               

 

 

 

 

ジョヴァンニ・サンティ

 ジョヴァンニ・サンティはウルビーノで生まれの画家、建築家。画家としてはあまり有名ではありませんが、ラファエロの父として有名です。ピエロ・デラ・フランチェスカの弟子で、メロッツォ・ダ・フォルリの助手をしていました。後にウルビーノ公の宮廷画家になります。

 

 ジョヴァンニ・サンティはラファエロが12歳頃に亡くなっていますが、それまで息子の絵の手ほどきをしていました。その後ラファエロはペルジーノの工房で助手をしていたようです。

 

 

 

 

サンドロ・ボッティチェッリ(Sandro Botticelli, 1445〜1510) 

 初期ルネサンスのフィレンツェ派で最も傑出した画家であり、初期フィレンツェの終わりを飾る画家でもあります。 サンドロ・ボッティチェッリは、フィリッポ・リッピの弟子です。フィリッポ・リッピの息子、フィリピーノ・リッピはボッティチェッリの弟子であり、親友です。

   

 ボッティチェッリは、ポッライオーロヴェロッキオの工房にも出入りし、メディチ家の庇護のもと多くの傑作を残しました。

 

 

 

 

 当時、ギリシア古典回帰の影響で「プラトン哲学」プロティノス「新プラトン主義」に注目が集まり、メディチ家でも学者を集めた勉強会が頻繁に行われていました。その結果、古代ギリシアの神々が宗教としてではなく、文化として芸術に入り込み、キリスト教との共存が進みました。

 

 特に「愛」は人間を神の領域に近づける働きをするものと考えられ、美と愛の象徴であるヴィーナスが頻繁に描かれるようになります。

 

 ヴィーナスはオールヌードで描かれることが許されています。ヌードであればお金持ちのおじさんたちが競って購入します。ティツィアーノなどは同じヌードを描きまくってガッツリ稼ぎました。おかげでミケランジェロに職人呼ばわりされ、軽蔑されてしまいました。

 

 

 

   

ピエトロ・ペルジーノ(Pietro Perugino, 1448頃〜1523)

 イタリア中央部のウンブリア州の生まれで、ウンブリア派に属します。アンドレア・デル・ヴェロッキオの工房で見習いをしました。ペルジーノはラファエロの師として有名ですが、本人もこの時代の最も偉大な画家の一人です。システィーナ礼拝堂のフレスコ画が有名です。

 

 ペルジーノは礼拝堂の南壁面の「モーセの出エジプト」と北壁面の「キリストの洗礼」、「聖ペテロへの天国の鍵の授与」を制作しました。

 

 

 

 

 

ドメニコ・ギルランダイオ(Domenico Ghirlandaio, 1449〜1494)

 ヴェロッキオの弟子です。ヴェロッキオ、ポッライウォーロ兄弟、ボッティチェッリなどと初期ルネサンスの第3世代と呼ばれる画家の一人であり、当時のフィレンツェで最も人気のある、突出した技量を持ったフレスコ画家です。

 

 後述のダヴィデ・ギルランダイオは弟であり、親族を中心とした工房を運営していました。ミケランジェロの師としても知られています。

 

 

 

 

 

 

エルコレ・デ・ロベルティ(Ercole de' Roberti, 1451頃〜1496)

 フェッラーラで生まれ、ボローニャのフランチェスコ・デル・コッサの工房で働いていました。フェッラーラ公爵エステ家がパトロン隣、後にコズメ・トゥーラの跡を継いでエステ家の宮廷画家となりました。

 

 

 

 

ダヴィデ・ギルランダイオ(Davide Ghirlandaio, 1452〜1525)

 フィレンツェの画家一家ギルランダイオ家のメンバー。兄はドメニコ・ギルランダイオ、弟はベネデット・ギルランダイオ(Benedetto Ghirlandaio, 1458〜1497)、いとこがリドルフォ・ギルランダイオ(Ridolfo Ghirlandaio, 1483〜1561)です。

 

 

ベネデット・ギルランダイオ(Benedetto Ghirlandaio, 1458〜1497)の作品

 

リドルフォ・ギルランダイオ(Ridolfo Ghirlandaio, 1483〜1561)の作品

 

▶︎関連記事 

 初期ルネサンスの主要画家と名画一覧(前半)

 システィーナ礼拝堂のフレスコ画一覧

 

 

/*トップに戻るボタン*/