- ジョルジョ・ヴァザーリの人生後半と代表作品
- コジモ1世の部屋(Sala di Cosimo I)
- フランチェスコ1世のスタディオーロ(Studiolo of Francesco I)
- レオ10世の部屋(Quarters of Leo X)
- 1560 ウフィッツィ
- 1563 美術アカデミー
- 1560 Martyrdom of St. Stephen(聖ステファノの石打)
- 1560 The Prophet Elisha cleansing Naaman(預言者エリシャとナアマン)
- 1563 The Studio of the Painter(画家の工房)
- 1565 St. Luke Painting the Virgin(聖母を描く聖ルカ)
- 1565 Vulcan's Forge(ヴァルカンの鍛冶場)
- 1566 Marriage at Cana(カナの婚宴)
- 1565 ヴァザーリの回廊
- 1565 Cavalieri di San Stefano
- 1570 The Annunciation(受胎告知)
- 1570 The Garden of Gethsemane(ゲッセマネの園)
- 1572 Perseus and Andromeda(ペルセウスとアンドロメダ)
- 1572 The Incredulity of St. Thomas(聖トマスの疑念)
- 1527 最後の審判
ジョルジョ・ヴァザーリの人生後半と代表作品
本項はジョルジョ・ヴァザーリの前半生と代表作品の続きです。
フィレンツェ公コジモ1世に招聘され、筆頭宮廷芸術家となったヴァザーリは、1555年からメディチ家の居城であるヴェロッキオ宮殿の改装を始めました。
コジモ1世の部屋(Sala di Cosimo I)
別名コジモ1世のスタディオーロと呼ばれる小さな小部屋です。コジモ1世の部屋は、収集品の保管に使われていたようです。当時は芸術品や世界各地の珍品を集めて展示する部屋「スタディオーロ」が流行していました。この個人のスタディオーロの収集品を展示したのが現代の博物館の始まりです。
フランチェスコ1世のスタディオーロ(Studiolo of Francesco I)
フランチェスコ1世はコジモ1世と妃エレオノラの息子です。 この部屋は500人広間についでヴェッキオ宮殿で有名な部屋です。こちらからフレスコ画の配置と全てのフレスコ画を見ることができます。
http://museicivicifiorentini.comune.fi.it/en/palazzovecchio/visitamuseo/studiolo_francesco_i.htm
レオ10世の部屋(Quarters of Leo X)
レオ10世は、ロレンツォ・デ・メディチの次男で、コジモのご先祖様に当たります。
1560 ウフィッツィ
・1560年、ヴァザーリはヴェッキオ宮殿の隣に行政機関のオフィスとなる建物の建設をはじめました。この建物はイタリア語でオフィスを意味する「Ufficio」をもじって「ウフィッツィ」と呼ばれるようになりました。
当時、行政のトップであるコジモ1世は、居城のヴェッキオ宮殿から、隣のウフィッツィに出勤して仕事をしていたのです。ウフィッツィは現在は美術館となっています。
1563 美術アカデミー
・1563年、ヴァザーリの発案で、史上はじめてとなる美術アカデミー、アカデミア・デッレ・アルティ・デル・ディゼーニョ(Accademia e Compagnia delle Arti del Disegno)を創立を創設しました。創立メンバーには、ヴァザーリ、ミケランジェロ、ブロンズィーノら36名の芸術家が名を連ねていました。
最初のアカデミーは、ざっくり言えば、芸術家のギルドである「聖ルカ組合」とフィレンツェの宮廷芸術家たちという二つの組織を、宮廷芸術家を頂点としてまとめたものです。これによって、一部のメンバーが都市全体の芸術を取り仕切るという権力の構図が出来上がりました。このアカデミーは美術学校の基盤となりました。
1560 Martyrdom of St. Stephen(聖ステファノの石打)
ステファノはとても頭のいい将来有望な若者でした。キリスト教とユダヤ教の討論会でユダヤ教の司祭たちを論破したため、有罪となり石打で殺されてしまいました。彼はキリスト教初の殉教者として聖人に加えられています。
1560 The Prophet Elisha cleansing Naaman(預言者エリシャとナアマン)
ナアマンは旧約聖書に登場するシリアの将軍です。彼はらい病にかかり、預言者エリシャに助けを求めました。エリシャの助言通りヨルダン川に7回浸かると病気が治ってしまいました。
喜んだナアマンはエリシャに贈り物をしますが、エリシャはそれを受け取りませんでした。しかし、エリシャの召使いの一人がその贈り物をエリシャに内緒で受け取っていたことが発覚します。召使いはその後らい病になってしまいました。
キリスト教のお話はいつも後味が悪いのが特徴です。エリシャが召使いに「そういうことは悪いことだから、返して謝っておいで」と言えば済むことなのに。
1563 The Studio of the Painter(画家の工房)
1565 St. Luke Painting the Virgin(聖母を描く聖ルカ)
聖ルカは、新約聖書の福音書の著者の一人です。医者だったルカは画才があり、聖母マリアを描いたという噂があるため、画家と薬剤師の守護聖人となっています。画家のギルド(組合)「聖ルカ組合」の名前の由来となる人物でもあります。
1565 Vulcan's Forge(ヴァルカンの鍛冶場)
ヴァルカン(ウゥルカヌス)は火の神で、この作品はヴァルカンの火を使い、戦いの女神アテナ(左の女性)の盾を修理しています。
1566 Marriage at Cana(カナの婚宴)
カナで結婚式があり、イエスとマリアが招かれました。途中でマリアがぶどう酒が足りないことを指摘すると、イエスが水をぶどう酒に変えました。このストーリーは他愛もないものですが、イエス最初の奇跡として注目されています。
1565 ヴァザーリの回廊
・1565年、ヴァザーリはコジモ1世の指示で、ウフィッツィから、ヴェッキオ橋(Ponte Vecchio)の2階部分を通ってアルノ川を越え、ピッティ宮殿(Palazzo Pitti)までを結ぶ、全長1キロに及ぶ回廊を建設しました。この回廊は、通称「ヴァザーリの回廊(Vasari Corridor)」と呼ばれ、半年で完成しています。
ヴェッキオ橋の2回部分がヴァザーリの回廊です。
ちなみに、ピッティ宮殿とは、銀行家のルカ・ピッティが建設した宮殿で、コジモ1世がエレオノラ妃のために購入しました。メディチ家は、ヴェッキオ宮殿を居城としていましたが、ヴァザーリの回廊の完成により安全にウフィッツィまで移動できるようになったため、生活の中心をピッティ宮殿へと移すようになりました。
1565 Cavalieri di San Stefano
・1565年、この年ヴァザーリは、ピサ(Pisa)のサン・ステファノ・ディ・カヴァリエリ教会(Cavalieri di San Stefano)の建設を開始しました。になみにこの教会の祭壇がは、同僚のブロンズィーノが描きました。
1570 The Annunciation(受胎告知)
1570 The Garden of Gethsemane(ゲッセマネの園)
1572 Perseus and Andromeda(ペルセウスとアンドロメダ)
アンドロメダはエチオピアの王女です。ポセイドンの怒りを買い、海獣の生贄にされそうになっているところを、ペルセウスがメドゥーサの首を使って海獣を石に変え、助け出しました。その後二人は結婚しています。この物語も絵画では好んで描かれますが、この作品は残念ながら駄作です。
1572 The Incredulity of St. Thomas(聖トマスの疑念)
トマスはイエスの弟子ですが、疑い深く、イエスの復活を他の弟子から聞いても信じませんでした。実際に復活したイエスを見たときにも、本物かどうか脇腹の傷をつついてみたというエピソードが残っています。
1527 最後の審判
・1572年、フィレンツェ大聖堂クーポラ(ドーム)に「最後の審判」を書きはじめましたが、1574年に逝去したため、完成には至りませんでした。このフレスコ画は、フェデリコ・ツッカリ(Federico Zuccari)が完成させています。
ちなみに、このクーポラは、透視図法の生みの親であるブルネレスキが建設し、頭頂部の球体と十字架はヴェロッキオとレオナルド・ダ・ヴィンチが制作して取りつけました。