- ジュゼッペ・アルチンボルドってだれ?
- ジュゼッペ・アルチンボルドの生涯と代表作品
- 1549 ミラノ大聖堂のステンドグラス
- 1556 モンツァ大聖堂のフレスコ画
- 1563 四季 春
- 1563 四季 夏
- 1570 四季 秋
- 1563 四季 冬
- 1563 四元素 大地
- 1563 四元素 水
- 1563 四元素 火
- 1563 四元素 大気
- 1566 The Lawyer
- 1566 The Librarian
- 1570 The Cook
- 1574 The Waiter
- 1575 Seated Figure of Summer
- 1578 Portrait of Adam
- 1578 Portrait of Eve
- 1588 Flora
- 1590 The Gardner
- 1590 Four Seasons in One Head
- 1591 Vertumnus (Emperor Rudolph II)
ジュゼッペ・アルチンボルドってだれ?
ジュゼッペ・アルチンボルド(Giuseppe Arcimboldo / Arcimboldi、1526〜1593)はイタリア・ミラノ出身のマニエリスムを代表する画家です。
マニエリスムの画家とは言っても、アルチンボルドのスタイルはポントルモやロッソのようなマニエリスムの典型的なスタイルとは大きく異なっています。どちらかと言えば、彼は天才というよりは鬼才に分類される画家でしょう。
アルチンボルドは30代まで伝統的な宗教画を描いてましたが、その後、神聖ローマ皇帝の宮廷芸術家となり、その鬼才ぶりを発揮するようになりました。
彼は特に、果物、野菜、動植物、魚、本などの静物を寄せ集めて人物を形作る極めて独特なスタイルの肖像画で高く評価されています(一方、彼の宗教画はほとんど評価されていません)。アルチンボルドの描く静物は、極めて多岐にわたると同時に正確であり、彼の博物学への造詣の深さを表しています。
当時、ヨーロッパでは富裕層が芸術作品や珍品を世界中から集め、展示室(スタディオーロ)を作って客に公開することが流行っていました。アルチンボルトの肖像画が好まれた背景には、当時の珍品や外国に対する憧憬も作用していたのかもしれません。実際に、アルチンボルトの作品には、その土地に存在しない植物や動物も描かれています。
アルチンボルドの作り出したダブル・イメージは、ダリなどの多くの画家たちを魅了し、シュールレアリズムに大きな影響を与えました。そのため、アルチンボルトは「シュールレアリズムの祖父」と呼ばれています。
確かにアルチンボルトの肖像画は、シュールレアリストたちに影響を与えてはいますが、アルチンボルトの作品自体は、シュールレアリズムというよりは「トロンプ・ルイユ(だまし絵)」に属します。そのため、シュールレアリスムの「父」ではなく、2世代前の「祖父」というややこしい言い方になっています。
アルチンボルドのキャラクターは「アリス イン ワンダーランド」にも登場しています。
ジュゼッペ・アルチンボルドの生涯と代表作品
・1526年、ジュゼッペ・アルチンボルド(Giuseppe Arcimboldo / Arcimboldi、1526〜1593)はイタリア・ミラノで生まれました。
アンチボルドの父親であるBiagio Arcimboldoは画家でした。幼少のアルチンボルトは父親と同じく、ステンドグラス職人としての訓練を受けました。
1549 ミラノ大聖堂のステンドグラス
・1549年、23歳のアルチンボルドはミラノ大聖堂(Milan Cathedral)のステンドグラスを制作しました。
1556 モンツァ大聖堂のフレスコ画
・1556年、Giuseppe Medaと共にモンツァ大聖堂(Duomo of Monza)のフレスコ画を制作しました。
1558 Dormition of the Virgin Mary(聖母就寝)
・1558年、コモ大聖堂(Como Cathedral)のため聖母マリアの死を描いたタペストリー「Dormition of the Virgin Mary(聖母就寝)」のデザインを手がけました。
・1562年、36歳の時に転機が訪れました。ハプスブルグ家の神聖ローマ皇帝フェルディナント1世(Ferdinand I)から宮廷芸術家のオファーがあったのです。
アルチンボルドは宮廷のあるオーストリアのウィーンに移り住み、その後の生涯をハプスブルグ家の宮廷芸術家として過ごしました。彼は絵を描くだけではなく、宮廷芸術家として宮廷の装飾や衣装デザインからパーティーやフェスティバルの企画・運営まで幅広く活躍しました。
・1563年、アルチンボルドは、彼の代表作となる寓意的肖像画のシリーズ「四季」と「四元素」を制作し、新年のパーティーでお披露目しました。「四季」は「春」、「夏」、「秋」、「冬」の4枚で、また、「四元素」は「大地」、「水」、「火」、「大気」の4枚で構成されています。
四季では、それぞれの季節で見られる植物や果実などで人物を構成しています。植物などは必ずしも国内で見られるものだけでなく、外国のものも含まれています。外国産のものは、神聖ローマ帝国が領土拡大を狙っていた土地の生産物であるとする説がありますが、どうなんですかねぇ・・・。
これらの絵画は同時に寓意も含んでいると言われています。例えば、「冬」のきている外套はマクシミリアンの頭文字Mを組み合わせたものです。また、「大地」ライオンは、ハプスブルグ家の先祖とされるヘラクレスのシンボルとなっています。さらに「火」の鼻と耳の「火起こし(fire starter)」も王家のシンボルです。でも、寓意じゃなくてたまたまな気もしますが・・・。
1563 四季 春
1563 四季 夏
1570 四季 秋
1563 四季 冬
1563 四元素 大地
1563 四元素 水
1563 四元素 火
1563 四元素 大気
・1564年、フェルディナント1世が死去しましたが、その息子のマクシミリアン2世(Maximilian II)の宮廷芸術家として続投することになりました。
・1566年、アルチンボルドは「法律家(弁護士)」と「司書」の肖像画を書いています。この2枚が特定の人物を描いたのかどうかは定かではありませんが、大方の専門家は、特定の人物の肖像画ではなくパロディーであろうと考えています。
法律家の顔は羽根をむしられた鳥と魚でできています。これが何を意味するかについては明らかになっていません。司書の口髭は、本の埃を払うハタキ、マントは読書スペースを仕切るカーテンです。
1566 The Lawyer
1566 The Librarian
1570 The Cook
こちらの作品は、一見グロテスクな料理のようですが、上限を反転させると(2枚目)料理人の顔になります(顔もグロテスク)。
・1571年、アルチンボルトの肖像画を大変気に入ったマクシミリアンは、フェスティバルで王家のメンバーに「四元素」と「四季」の仮装をさせました。ちなみに、マクシミリアン自身は「冬」の仮装をしたそうです。
1574 The Waiter
1575 Seated Figure of Summer
夏の全身像です。
・1576年、マクシミリアン2世が49歳でこの世を去りました。アルチンボルドは、マクシミリアン2世の息子ルドルフ2世(Rudolph II)の宮廷芸術家となりました。アルチンボルドは3代の神聖ローマ皇帝に宮廷芸術家として仕えたことになります。
1578 Portrait of Adam
1578 Portrait of Eve
・1583年、ルドルフ2世の宮廷がウィーンからプラハに移りました。
・1587年、61歳となったアルチンボルドは引退し、ミラノに帰りました。引退後もミラノで絵を描き、プラハのルドルフ2世に送り届けていました。
1588 Flora
1590 The Gardner
この作品も「料理人」と同じく、反転させると庭師の顔になります。
1590 Four Seasons in One Head
四季を一つの顔にまとめた作品です。
1591 Vertumnus (Emperor Rudolph II)
この作品では、 神聖ローマ皇帝ルドルフ2世を、四季と収穫の神ウィルトゥムスとして描いています。
・1593年、アルチンボルドはミラノで腎結石のため死去しました。66歳でした。