新・ノラの絵画の時間

西洋美術史・絵画史上重要な画家たちの代表作品と生涯をまとめました。

ジョルジョ・ヴァザーリの生涯と作品(1) ヴェロッキオ宮殿とヴァザーリ

 

  

ジョルジョ・ヴァザーリの生涯と代表作品

 

・1511年ジョルジョ・ヴァザーリ(Giorgio Vasari、1511〜1574)は、イタリアのトスカーナ州アレッツォ(Arezzo)で生まれました。

 

 幼少のころ、従兄弟のLuca Signorelliの勧めでステンドグラス制作者のGuglielmo da Marsigliaに弟子入りしています。

 

・1527年、16歳の時、Silvio Passerini枢機卿によってフィレンツェに送られて、アンドレア・デル・サルト、ポントルモ、ロッソたちに教育を受けました。ちなみに、ポントルモとロッソは17歳年上です。

 

 順風満帆に見えるヴァザーリの人生ですが、1527年には父親が死亡し、16歳のヴァザーリが祭壇画などを描いて母親と兄弟たちの生活を支えていました。

 

1527 Madonna

 

・1530年頃、 2年ほどローマを訪れ、ラファエロや他の盛期ルネサンスの画家たちの作品に触れる機会を得ました。ローマでミケランジェロと出会い、弟子となっています。

 

 ヴァザーリはSilvio Passerini枢機卿の推薦でフィレンツェのメディチ家のバックアップを受けていましたが、どうも30年代頃から両者の間には溝ができていたようです。ヴァザーリはうつ状態になり、修道院に隠遁し修道士などを描く生活をしばらく送っていました。

 

1533 Lorenzo de Medici 'The Magnificent'

 

・1538年、精神の健康状態を回復したヴァザーリは、メディチ家からのオファーを蹴って、再びローマへと移住しました。この後ヴァザーリとメディチ家の溝が埋まるまでに20年近い歳月が必要となります。

 

1540 Deposition from the Cross

 マニエリスム色の強いこの作品はロッソの影響を受けています(2枚目はロッソの作品)。大変優れた作品だと思うのですが、どうも世間の評価はイマイチです。

 

 

 

1540 The Deposition

 こちらの作品もロッソの影響が見られますが、ロッソの方が革新的ですね。

 

 

1541 Allegory of the Immaculate Conception(無原罪の寓意)

 本作品はヴァザーリの代表作です。上部のマリアと天使たちにはラファエロの影響が、また下部の群衆にはミケランジェロの影響が、曲がりくねった人物のポーズにはロッソの影響が見て取れます。

 

 ちなみに、"Immaculate Conception"とは、カトリックでは「無原罪のおん宿り」と訳し、聖母マリアが胎児の頃からすでに原罪から放免されているという概念を指します。

 

 

1541 The Temptation of St. Jerome(聖ヒエロニムスの誘惑)

 ヒエロニムスはキリスト教の聖人で聖書をラテン語に翻訳した人物として知られています。ヒエロニムスは砂漠で修行中に多くの魑魅魍魎に誘惑されますが、それに打ち勝ち、信仰を確立しました。

 

 このストーリーは絵画の人気モチーフとなっており、数多くの作品が描かれました。個性的なものとしては、ヒエロニムス・ボス、ダリなどの作品があります。ミケランジェロが小さい時に描いた「聖ヒエロニムスの誘惑」も大変魅力的な作品です。

 

 

1542 Allegory of Geography(地理の寓意)

 

 

1542 Patience(忍耐)

 

 

 

1545 Judith and Holofernes(ユディトとホロフィネス)

 紀元1世紀頃、ネブカドネザル王はベトリアを制圧するため、ホロフィネスを将軍とする軍隊を向かわせました。戦争では勝ち目がないと思ったベトリアの娘ユディトは、ホロフィネスを酔わせ、寝首をかいて殺してしまいました。

 

 このストーリーも西洋絵画では大変好まれるモチーフとなっています。特に有名なのはカラバッジョのユディトでしょう。

 

 ちなみに、女性が男の首を切る物語にはサロメもあり、こちらも人気です。ユディトには手伝う女性が描かれていることが多く、サロメは単独犯として描かれることが多くなっています。

 

 

1547 100日フレスコ

・1547年、36歳の時にローマのカンチェッレリア宮殿(Palazzo della Cancelleria or Chancellery)のメイン広間(Sala dei Cento Giorni)のフレスコ画を100日で完成させました。このフレスコ画は、教皇パウルス3世(Paul III)の人生をモチーフにしたもので、通称「100日フレスコ」と呼ばれています。 

 

 

 

 
1547 Casa Vasari

 同年、36歳のヴァザーリは故郷のアレッツォに邸宅「カーサ・ヴァザーリ(Casa vasari )」を建てました。

 

 現在、彼の邸宅は美術館になっています。ホームページはこちら

 http://www.museistataliarezzo.it/en/museo-casa-vasari 

 

 

1550 画家・彫刻家・建築家列伝

・1550年、ヴァザーリは、チマーブエからミケランジェロまでルネサンスの芸術家133人の評伝をまとめた「画家・彫刻家・建築家列伝」を著しました。彼は、1568年に第2版を出版し、新たに30名の芸術家を加えています。この著書は、私たちがルネサンスを知る上でもっとも大切な資料となっています。Amazonで購入できます。

 

1554 Italian Humanists

 真ん中に座っているのは「神曲」で知られる詩人のダンテ・アリギエーリです。

 

 

・1555年、ヴァザーリは、メディチ家のフィレンツェ公コジモ1世によってフィレンツェに招かれました。彼はフィレンツェの筆頭宮廷芸術家として建築と装飾の分野で活躍しました。この頃フィレンツェの宮廷画家として一緒に活躍した画家にブロンズィーノがいます。ブロンズィーノはヴァザーリの8歳年上です。

 

1555 Palazzo Vecchio

・1555年、ヴァザーリは、コジモ1世の指示によりフィレンツェの中心にあるヴェッキオ宮殿(Palazzo Vecchio)の改装をはじめました。ヴェッキオ宮殿はもともとフィレンツェ政庁舎でしたが、1540年からコジモ1世の居城となっていました。

 

 

 ヴェッキオ宮殿でヴァザーリが改装を手掛けた代表的な部屋には「500人広間(Salone dei Cinquecento)」、「コジモ1世の部屋(Sala di Cosimo I)」、「フランチェスコ1世のスタディオーロ(Studiolo of Francesco I)」、「レオ10世の部屋(Quarters of Leo X)」などがあります。

 

500人広間(Salone dei Cinquecento)

 通称「500人広間(Salone dei Cinquecento)」は、1495〜96年にジローラモ・サヴォナローラの委託で建設された巨大な広間です。ヴァザーリは、この部屋の壁にフィレンツェのピサとシエナに対する軍事的勝利を描いた6枚のフレスコ画を描き、さらに、天井にはコジモ1世のエピソードをモチーフとした39枚のパネル画を描きました。

 

 

 

 

 ちなみにこの部屋のフレスコ画「マルチャーノ・デラ・キアーナの戦い」(下図)の裏には、レオナルド・ダ・ヴィンチの失われた傑作「アンギアーリの戦い」が隠されていると考えられています。

 

 

 長すぎるので、コジモ1世の部屋以降は次回です。すいません。

 

 

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