新・ノラの絵画の時間

西洋美術史・絵画史上重要な画家たちの代表作品と生涯をまとめました。

初期ルネサンス絵画の主要画家と代表作品一覧(前半) ルネサンスの名画を一気に見よう。

 

 

初期ルネサンス(1400〜1490年代)の主要画家と代表作品(前半) 

 

 本項は、初期ルネサンスの巨匠と名画の一覧です。画家は成年順に並んでいますので、順を追っていくことで絵画の流れと変化をある程度把握できると思います。なお、初期ルネサンスの内容についてはこちらをご覧ください。

 

▶︎関連記事

 初期ルネサンス絵画史まとめ

 初期ルネサンスの画家と名画一覧(後半)

 

 

ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ(Gentile da Fabriano、 1360/1370〜1427)

 前期ルネサンスと初期ルネサンスの過渡期の画家。ゴシックの装飾性とルネサンスの写実性の極めて高い融合が見て取れます。後述のフラ・アンジェリコとともに国際ゴシックの代表画家の一人です。

 

 

 

フィリッポ・ブルネレスキ(Filippo Brunelleschi, 1377〜1446) 

 フィレンツェの建築家・彫刻家。初期ルネサンスの三頭(ブルネレスキ、ドナテッロ、マサッチオ)の最重要人物です。一点透視図法を確立し、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のクーポラを設計したことで有名です。

 

 

ドナテッロ(Donatello、 1386〜1466) 

 フィレンツェの彫刻家。ブルネレスキの親友でともにローマを放浪しました。初期ルネサンス三頭の一人です。世界初の透視図法(下の台座の部分のレリーフ)を使った彫刻を制作しました。

 

   

フラ・アンジェリコ(Fra' Angelico / Beato Angelico、1390年/ 1395〜1455)

 アンジェリコはファブリアーノと同世代の国際ゴシックを代表する画家です。後述のフィリッポ・リッピと同じくロレンツォ・モナコに師事していたと言われています。下図2枚目はリッピとの共同制作作品「東方三博士の礼拝」です。

 

 ちなみに、フィリッポ・リッピはボッティチェッリの先生です。

 

 

 

パオロ・ウッチェロ(Paolo Uccello, 1397〜1475)

 ブルネレスキの宿敵ロレンツォ・ギベルティの弟子です。ブルネレスキは公募でギベルティに破れ、ドナテッロとローマを放浪して透視図法を思いつきました。ウッチェロはブルネレスキの透視図法に熱中した画家として有名です。

 

 下図1枚目「ジョン・ホーグウッドの肖像」は美術史上初と言われる一般人の肖像画です。肖像画は、この後、富裕層の増加に伴って数多く描かれるようになりました。2枚目の「サン・ロマーノの戦い」は、絵画史上最初期の「世俗画」です。それまでは宗教画や寓意画ばかりでした。教会だけでなく、一般富裕層がパトロンになることによって、画題にも変化が現れるのがこの時期です。

 

 

 

ジョヴァンニ・ディ・パオロ・ディ・グラツィア(Giovanni di Paolo di Grazia, 1399/1403〜1482)

 シエナ派の画家。ファブリアーノなど国際ゴシックの影響を受けた装飾的要素の強い画風です。透視図法全盛の時代に、完全にそれを無視した個性的な構成には、ジョヴァンニの頑固さを感じます。

 

 

ドメニコ・ヴェネツィアーノ(Domenico Veneziano 1410〜1461)

 ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノの弟子。後述のピエロ・デラ・フランチェスカはドメニコの助手をしていました。

 

 当時の美術評論家ジョルジョ・ヴァサーリによれば、ドメニコは後述のアンドレア・デル・カスターニョに殺されたということですが、実際にはカスターニョの方が先に死亡しています。

 

 ちなみに、ルネサンスの歴史は、ほとんどジョルジョ・ヴァサーリの著書「芸術家列伝」の情報に基づいています。ヴァザーリは、ミケランジェロの弟子で優秀な画家でもありました。ダ・ヴィンチ「アンギアーリの戦い」のあとにフレスコ画を描いたことでも有名です。

 

 

 

マソリーノ(Masolino da Panicale, 1383〜1440頃)

 ヴァザーリによればウッチェロマサッチオと同じくギベルティの工房で助手していたようですが確実な経歴はわかっていません。 40歳から絵画をはじめた遅咲きの画家です。

 

 1424年にフェリーチェ・ブランカッチから依頼を受けたサンタ・マリア・デル・カルミネ大聖堂のブランカッチ礼拝堂フレスコ画ではマサッチオと共同で作業を行いました。

 

 過去にはマソリーノはマサッチオの師匠であるという説もありましたが、現在ではイタリア国内では否定されています。マソリーノはマサッチオより18歳ほど年上ですが、画歴はほぼ一緒であるため師弟の関係は考えられません(日本の文献は情報が古く、いまだにマサッチオの師匠であるとするものが多い)。

 

 ブランカッチ礼拝堂フレスコ画は25年に突如中断されてしまいます。その後、同門のフィリッポ・リッピ(後述)が完成させました。下図はブランカッチ礼拝堂フレスコ画のアダムとイヴです(木に巻きついているのはへび)。

 

  

マサッチオ(Masaccio, 1401〜1428)

 初期ルネサンス三頭の一人ですが、その経歴についてはほとんどわかっていません。21歳で彗星の如く現れ、当代随一の画家と謳われたものの、27歳の若さで夭折しています。一説ではライバルの画家による毒殺であると言われています。

 

 有名な作品としてはサンタ・マリア・デル・カルミネ大聖堂のブランカッチ礼拝堂フレスコ画があります(下図1〜3枚目)。

 

 このフレスコ制作は先述のマソリーノと共同で行われ、マサッチオが「楽園追放」(下図2枚目)を制作しました。「楽園追放」は感情表現が大変見事な作品として知られています(ルネサンスの傾向をよく表しています)。

 

 マサッチオは1427年、透視図法を使った最初期の絵画であるサンタ・マリア・ノヴェッラ教会のフレスコ画「聖三位一体」(3枚目)を制作しました。

 

 

 

 

 

 

フィリッポ・リッピ(Fra Filippo Lippi, 1406〜1469)

 カルミネ派の修道士でロレンツォ・モナコの弟子であったとされています。マソリーノマサッチオの投げ出したカルミネ派教会のブランカッチ礼拝堂フレスコ画を仕上げました。

 

 リッピは、サンドロ・ボッティチェッリの師匠でもあります。息子はフィリッピーノ・リッピでボッティチェッリの弟子です。極めて繊細でクリアな画面構成であり、技術的には当時ナンバー1でしょう。

 

 女性に大変モテたようで、50代にして23歳の修道女ルクレツィアと駆け落ちし、破門になっています。

 

 

 

ピエロ・デラ・フランチェスカ(Piero della Francesca, 1412〜1492)

 ドメニコ・ヴェネツィアーノに師事し、絵画を勉強しただけでなく、あらゆる分野に造詣の深い最初期のルネサンス型万能人の一人です。絵画、彫刻、建築、数学、幾何学に精通し、作品だけでなく「算術論」「遠近法論」「五正多面体論」などの著作もあります。特に透視図法の研究には熱心でした。

 

 ピエロの理論は比率に関するルカ・パチョーリ(Luca Pacioli 1445〜1517年)の著書「de divina proportione」にもまとめられています。この本の挿絵はダ・ヴィンチが描き、ルネサンスでもっとも重要な本だと言われています。でも、Amazonで購入可能、便利な世の中になりました。

 

 

アンドレア・デル・カスターニョ(Andrea del Castagno, 1420〜1457)

 カスターニョはフィリッポ・リッピパオロ・ウッチェロの助手をしていたと言われています。さらに、ジョルジュ・ヴァザーリによれば、カスターニョは先述のドメニコ・ヴェネツィアーノを殺害したことになっています。しかし、実際にはヴェネツィアーノが死亡する4年前にペストで死亡しています。

 

 

ヤーコポ・ベッリーニ(Jacopo Bellini、1400〜1470)

 ヴェネツィア派の創始者であり、ヴェネツィアン・ルネサンスの祖。ヴェネツィアでは15世紀半ばになってルネサンスが始まりました。

 

 ヤーコポはジェンターレ・ダ・ファブリアーノの弟子です。後述のジェンティーレジョバンニは息子、さらに娘の夫は後述のアンドレア・マンテーニャと言う超豪華な画家一家のお父さんです。

 

 盛期ルネサンスになると、ヴェネツィア派からジョルジョーネティツィアーノといった巨匠が生まれてきます。

 

 

ジェンティーレ・ベッリーニ(Gentile Bellini, 1429〜1507)

 父親はヴェネツィア派の祖である前出のヤーコポ、弟はヴェネツィア派の代表的な画家ジョヴァンニ・ベッリーニです。

 

 ジェンティーレはジョバンニとともに油彩画のパイオニアです。油彩は古代からありましたが、フランドルの画家ヤン・ファン・エイク(Jan van Eyck、1395〜1441)が現在のような技術として確立しました。

 

 フランドルでは油彩は板に描いていたのですが、その後、帆布を張ったキャンバスが開発され、油彩技術は地の利と帆布の豊富なヴェネチアに伝わりました。ベッリーニ兄弟はいち早くこの油彩技術を取り入れ、テンペラと併用していました。

 

 

 

ジョヴァンニ・ベッリーニ(Giovanni Bellini, 1430〜1516)

 ヤーコポの息子であり、ジェンティーレの弟です。16世紀のヴェネチア派でもっとも重要な画家であり、同じくヴェネツィア派のジョルジョーネ(Giorgione 1477/1478〜1510)ティツィアーノ(Titian 1488/1490〜1576)の師匠です。

 

 

 

アントネロ・ダ・メッシーナ(Antonello da Messina, 1430〜1479)

 ナポリの画家。当時のナポリはフランドル絵画の影響を強く受けおり、フランドルで発展した油彩画をいち早く取り入れました。ヴァザーリによれば、メッシーナは1450年ごろ油彩技法をヴェネツィアに伝えたことになっています。

 

 

 

アンドレア・マンテーニャ(Andrea Mantegna, 1431〜1506)

 パドゥヴァ派の代表画家。先出のヤコポ・ベッリーニの義理の息子です。ジェンティーレジョバンニは義理の兄に当たります。

 

 パドヴァ派のフランチェスコ・スクァルチォーネに師事し、その後マントヴァのゴンザーガ家をパトロンとし、宮廷画家として活躍しました。同門に後述のコズメ・トゥーラがいます。身体を短く描く「短縮遠近法」を開発しました。

 

 

 

 

 

▶︎関連記事

 ルネサンス絵画史まとめ

 初期ルネサンス絵画史まとめ

 初期ルネサンスの画家と名画一覧(後半)

 

/*トップに戻るボタン*/