システィーナ礼拝堂のまとめ
システィーナ礼拝堂の全フレスコ画の配置と画像が見られるページがどこにもないので、いっぺんに見られるようにしてみました。今のところ、すべてのフレスコ画がみられるのは世界中でこのページだけです。
なお、本項は画像が多すぎてしまうので壁面のフレスコ画のみです。天井画についてはこちらをご覧ください。
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忙しくて「ヴァチカンまでは、なかなか・・・」と思っている方に少しでも礼拝堂の内部をイメージしていただければ幸いです。
システィーナ礼拝堂とは?
新教皇を決めるコンクラーヴェの会場としても有名なシスティーナ礼拝堂(下図)は、バチカン宮殿にある礼拝堂で、サン・ピエトロ大聖堂へも繋がっています。この礼拝堂は、古いマッジョーレ礼拝堂を壊した跡地に、ローマ教皇シクストゥス4世によって1473〜1481年に建設されました。設計はバッチオ・ポンテッリで、3階建ての建物となっています。ファサードはなく、入口はバチカン宮殿側にあります。
バチカン宮殿はバチカン美術館・博物館にもなっており、バチカン美術館とシスティーナ礼拝堂、サン・ピエトロ大聖堂はセットで見学することが可能です。料金は日本円で7000円くらいのようですが、日本の旅行社を通して予約をした方がいいかもしれませんね(もし、行く時間が取れるならば)。
システィーナ礼拝堂のフレスコ画を描いた画家たち
システィーナ礼拝堂のフレスコ画の作家と制作年は次の通りです。
礼拝堂の建設年代はちょうどイタリアの初期ルネサンスに相当します。その装飾にはルネサンス期の多くの巨匠が参加しており、ミケランジェロの「最後の審判」をはじめ、絵画の至宝を見ることができます。
・1481〜83年 ペルジーノ、ボッティチェッリ、ドメニコ・ギルランダイオ、コジモ・ロッセッリ、ビアッジョ・ダントーニオ、シニョレッリ、バルトロメオ・デッラ・ガッタ
・1508〜12年 ミケランジェロ (天井画)
・1515年 ラファエロ (最下層部を飾る10点のタペストリー)
・1534〜41年 ミケランジェロ (最後の審判)
・1572年 ヘンドリック・ファン・デン・ブルック
・1574年 マッテオ・ダ・レッチェ
ちなみに、ペルジーノはラファエロの先生、ギルランダイオはミケランジェロの先生です。
システィーナ礼拝堂の構造
壁面は4面あり、東側が祭壇、西側が出入り口となっています。南・北・西の壁面は3層構造になっています(下図1枚目と2枚目)。第1層は黄金のカーテンの装飾で、特別な行事の場合にはラファエロのタペストリー(1515年作の10枚)が飾られます(下図3枚目はラファエロのタペストリが掛かった状態)。
第2層目には、ルネサンス期の巨匠たちのフレスコ画が並びます。フレスコ画は、南・北に各6枚、西壁に2枚の計14枚で南壁に「モーセの物語」と北壁に「キリストの物語」が描かれています。
第3層目(最上段の窓のある階層)には歴代の教皇が描かれています(教皇の絵は載せてません)。その上の半円形の部分はルネットと呼ばれる壁と天井をつなぐ領域で、天井画に含まれます。
システィーナ礼拝堂公式ページ
ヴァチカン美術館のシスティーナ礼拝堂のページ。フレスコ画は一部しか掲載されていません。説明もおざなり。
システィーナ礼拝堂の内部が3Dで360度見られる優れもの(ヴァチカン美術館)。ただし、重いので動作が遅いです。できればPCの方がいいのかもしれませんが、とてもよくできているので是非ご覧ください。
システィーナ礼拝堂の壁面フレスコ画の全貌
東壁(祭壇)
システィーナ礼拝堂の内部の壁は3層構造からなっていますが、東壁だけは1層から3層までぶち抜きでミケランジェロの「最後の審判」が描かれています。
・1534年、ミケランジェロは、クレメンス7世の依頼によりシスティーナ礼拝堂の「最後の審判」の制作に取り掛かりました。クレメンス7世は依頼後すぐに死亡しますが、後継の教皇パウルス3世も制作の続行を望み、作品は41年に完成しています。
・「最後の審判」 ミケランジェロ 1534〜41年
当初、「最後の審判」の人物はすべて全裸で描かれていました。そのため、Carafa枢機卿(後の教皇パウルス4世)とマントヴァ大使のMonsignor Serniniはフレスコ画の撤去運動を起こします。しかしながら、パウルス3世の反対で実現できませんでした。
しかし、その後、1564年のCouncil da Tren(カトリック教会の議会)の決定で、ミケランジェロの弟子のダニエレ・ダ・ヴォルテッラによって陰部を隠すよう衣服が描き足されています。
陰部修正前の「最後の審判」は下図のような感じです。これはマルチェッロ・ヴェヌスティ(Marcello Venusti)模写です。ダニエレ・ダ・ヴォルテッラの修正はオリジナルを損なわないよう、最小限になっていることがわかります。
南壁
南壁2階層目の壁画は1481〜82年頃、ルネサンス期の名だたる巨匠たちによって描かれた「モーセの物語」になります。壁画は6枚構成で、正面の祭壇側(東壁)の「モーセの出エジプト」に始まり、6枚目は「モーセの死と遺言」で終わります。
さらに物語は入口の壁(西壁)の「モーセの遺体をめぐる争い」へと続いています。
・「モーセの出エジプト」 ペルジーノ
・「モーセの試練」 ボッティチェッリ
・「紅海横断」 ロッセッリとギルランダイオまたはビアッジョ・ダントーニオ
・「シナイ山から下山したモーセ」 ロッセッリ
・「反逆者たちの懲罰」 ボッティチェッリ
・「モーセの死と遺言」 シニョレッリとバルトロメオ・デッラ・ガッタ
北壁
北壁2階層目の壁画も1481〜82年頃、ルネサンス期の名だたる巨匠たちによって描かれた「キリストの物語」になります。壁画は6枚構成で、正面の祭壇側(東壁)の「使徒ヨハネによるキリストの洗礼」に始まり、6枚目は「最後の晩餐」で終わります。
さらに物語は入口の壁(西壁)の「キリストの復活」へと続いています。
・「キリストの洗礼」 ペルジーノ
・「キリストの誘惑」 ボッティチェッリ
・「使徒の改宗」 ギルランダイオ
・「山上の垂訓」 コジモ ロッセッリ
・「聖ペテロの天国への鍵の授与」 ペルジーノ
・「最後の晩餐」 ロッセッリ
西壁(入口)
西壁は祭壇に対面した壁で、入口となっています。3層構造なのは南北の壁と同じです。
第2層は、2枚のフレスコ画「キリストの復活」と「モーセの遺体をめぐる争い」が描かれています。一見統一感がないようですが、これらのフレスコ画は南北の壁のフレスコ画(モーセの物語とキリストの物語)の続きとなっています。
・「キリストの復活」 ヘンドリック・ファン・デン・ブルック 1572年
・「モーセの遺体をめぐる争い」 マッテオ・ダ・レッチェ 1574年
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