ジョルジョーネってだれ?
ジョルジョーネ(Giorgione、1477/1478〜1510)は、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロたちと同時期にに活躍したイタリア・ヴェネツィアの巨匠で、盛期ルネサンス(1490年代〜1527年)の最重要画家の一人です。
彼は、西洋絵画史上はじめて「風景画」を描きました。また、同門のティツィアーノに絵画の指導をしたことでも知られています。
ジョルジョーネは、資料ほとんどないため、西洋絵画史上最も謎に包まれている画家です。当時、大変な人気を誇り、デステ家のようなパトロンですら彼の作品を入手することができませんでした。
彼は、あまりに影響力が強かったため、ジョルジョーネ風の作品や贋作が数多く作られました。そのため、真贋の鑑定が大変難しく、現在でも二転三転しています。
ジョルジョーネの生涯と代表作品
ジョルジョーネはヴァネツィアのカステルフランコヴェーネト出身で、つましい環境で育ったとされています。
1490年〜1500年頃、ベネツィア巨匠で宮廷画家のジョヴァンニ・ベッリーニの下で修行し、そこでティツィアーノと出会いました。
ベッリーニの工房では、ベッリーニ本人ではなく、彼に見込まれたジョルジョーネが後輩の指導にあたっていました。ティツィアーノも彼の指導でメキメキ上達しました。
ジョルジョーネは33歳で死亡しているため、現存する作品は極めて少なくなっています。ジョルジョーネのサインのあるものはわずかに2点(「ラウラ」と「男性の肖像」)、さらに制作年の入っているものは1点(「ラウラ」)のみです。そのほかに、ほぼ彼の作品と考えて間違いはないであろうと言われている作品は5点しかありません。
以下、ほぼジョルジョーネの作品と考えて間違いないだろうと言われているものをご紹介します。
Trial of Moses
Judgement of Solomon
この二枚は1495〜1500年頃、ジョルジョーネが20代半ばから30歳くらいの時の、彼の最初期の作品だと言われています。
これらの絵で特徴的なのは、風景が画面の3分の2を占め、テーマ自体が画面の下3分の1に押し込められていることです。絵画の中の物語は、風景の一部として進行しています。
テンペスタ(1500)
「テンペスタ」は、別名「嵐」とも呼ばれる作品で、嵐の予兆を描いていると言われます。この作品は特定の物語を描いているわけではないため、「西洋美術史上最初の風景画」と言われており、ジョルジョーネの代表作です。「テンペスタ」は、ジョルジョーネの死後、ティツィアーノが完成させたと言われています。
手前に乳飲み子に乳を与える半裸の女性、左側に男性が描かれていますが、最初は男性は全裸の女性だったことがX線解析の結果から明らかになっています。
この絵の画期的なところは、テーマがないことです。通常、ルネサンス時代の絵画は、宗教画であったり、歴史画であったりと、描くモチーフに物語があります。
しかしながら、ジョルジョーネの作品のいくつかは、特定のモチーフがなく、人物が風景の中に溶け込んでいます。物語がないために、観客は彼の絵から状況を想像するしかありません。
日没(1500)
「日没」では、「テンペスタ」よりさらに人物が小さくなり、風景の中に溶け込んでいます。
ジョルジョーネは、観る人に物語の一場面を与えるのではなく、その人の情感と想像力に訴える絵画を描いた最初の画家です。そのような意味では、ジョルジョーネは単に最初の風景画かであるだけでなく、近代絵画の父と呼べるでしょう。
カステルフランコの祭壇画(1503)
「カステルフランコの祭壇画」では、玉座に座る聖母子の後ろに、城とのどかな風景が広がっています。玉座が高いため、聖母子は中央ではなく、画面上部に位置し、背後の風景と融和しています。
ジョルジョーネは、祭壇画に風景と人物の調和を生み出しました。この祭壇画は、同時代の画家たちに衝撃を与え、多くの画家が彼の作風を取り入れるようになりました。
ユディト(1504)
ユディトのポーズはレオナルド・ダ・ヴィンチの「レダと白鳥」のレダに似ています。また、塀越しに広がる風景は「モナ・リザ」を彷彿とさせますが、ダ・ヴィンチの影響があるかどうかは定かではありません。
ユダヤ女性のユディトは、アッシリアの王ネブカドネツァルの軍隊の司令官ホロフィルネスの首を切り落として自分の街を守りました。足元に転がっているのがホロフィルネスの首です。
ラウラ(1506)
「ラウラ」は、サインと制作年(1506年)の記載がある唯一の作品です。
三人の哲学者(1507)
フルートを持つ少年
矢を持つ少年
男性の肖像
この作品はジョルジョーネのサインがある2作品のうちの一枚です。
眠れるヴィーナス(1510)
「眠れるヴィーナス」もジョルジョーネの代表作です。戸外にいる一人の女性のヌードは史上初ということで、大変革新的な作品であると言われています(変な評価ですね)。
この作品の特徴は、何と言っても、ヴィーナスの美しい長楕円形のフォルムと構図です。さらに左の赤と右の緑の補色による対比と、前面のシーツの緻密で硬質な感じが柔らかい画面全体を引き締めています。
「眠れるヴィーナス」は、のちの画家たちに多大な影響を与えました。
下図1枚目はティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」、2枚目はマネの「オランピア」(1863)ですが、どちらもオリジナルを超えることはできませんでした。
ジョルジョーネは一生をベネチアで過ごし、33歳の若さで腺ペストで死亡したと考えられています。しかし、これも記録があるわけではなく、イザベラ・デステがジョルジョーネの作品を購入を依頼した際の手紙の中にそのような記述があったにすぎません。
ちなみに、イザベラ・デステとは、フェッラーラを支配していたゴンザーガ家に嫁いだ女性で、「モナ・リザ」のモデルかもしれないと考えられている女性です。
ジョルジョーネの作品は、当時ですらいくらお金を積まれても誰も手放す人がおらず、結局、彼女は彼の作品を手にすることができませんでした。
そのほかの作品
そのほか、彼の作品である可能性のある代表的な作品をあげておきます。
ヴェネツィアの紳士の肖像
田園の合奏
羊飼いの礼拝
東方三博士の礼拝
ニンフと子供達
これらの作品はジョルジョーネのものであろうと推測されていますが、確実ではありません。ともあれ、真作とされるジョルジョーネの作品は大変美しく、叙情的かつ幻想的な雰囲気を醸し出しています。