ロレンツォ・ロットは、ルネサンスの巨匠たちの中で最も革新的でおもしろい画家です。でも、意外と日本では知られていません。本項はそんなロットの魅力を少しでも知ってもらうことを目的としています。
ロレンツォロットってだれ?
ロレンツォ・ロット(Lorenzo Lotto、1480〜1556/1557)は盛期ルネサンスからマニエルスム期にかけてイタリアで活躍した画家で、特に宗教画と肖像画を数多く遺しました。年代的にはミケランジェロの4歳年下、ラファエロより3つ上です。
ロレンツォ・ロットは、ヴェネツィアで生まれましたが、当時のヴェネツィアはジョルジョーネやティツィアーノなど才能のある画家がひしめいていました。そこで、彼はヴェネツィアを去り、拠点を移しながら注文を取っていました。
人気の出てきたロットは、教皇の芸術指南役である建築家のドナト・ブラマンテの目に止まりました。ロットはラファエロとともにローマに招かれ、ヴァチカン宮殿の部屋の改修を任されます。
しかし、ラファエロの改修した部屋は「ラファエロの間」として後世に残りましたが、ロットの改修した部屋は数年で取り壊されてしまいました。
ローマで頭角を現すことの出来なかったロットは、その後も各地を転々としながら76年の人生で389点もの作品を遺しました。
晩年期は、半分失明し、70歳くらいから精神的に不安定になって、ひと所にじっとしていられない、良好な人間関係が構築できないなどの症状が見られるようになります。
結局、ロレンツォ・ロットは、貧困のため生活できなくなり、サンタ・カーザ・ロレート修道院の平修士として76年の人生を終えました。ちなみに、平修士とは修道士ではなく、修道院に住み込みで雑務をする人です。
ルネサンスの革命児ロレンツォ・ロットの代表作品
ロレンツォ・ロットは、主流から外れて独自路線を開拓したため「反骨の画家」だの「流浪の画家」だのというレッテルを貼られています。しかし、本人は反骨のつもりはありませんし、流浪といっても自分の工房だって持っていました。
ロレンツォ・ロットの最大の魅力は、その革新性です。ロットは各地を転々とする間に多くの様式を吸収して、それらを昇華させ、古典的な様式から離れた独自の路線を開拓しました。彼の革新的な構図は「傷ついたイエスの血を集める天使たち」や「ロザリオの聖母」に見ることができます。
さらに、ロットは絵画史上初めて人間の内面を描いた画家でもあります。「受胎告知」では、マリアを使って人間本来の行動を描き、肖像画では、小道具や寓意を使ってモデルの内面を表現しています。さらに、死の直前に描いた「キリストの神殿奉献 」では、自分の内面をも描き切りました。
傷ついたイエスの血を集める天使たち(Angel collecting blood from the wounds of Christ)
この作品はロットの代表作です。古典的な構図を使わずに、キリストの周りに天使が群れる様を大胆に表現した、とても革新的で大変美しい作品です。
ロザリオの聖母(Madonna of the Rosary)
この作品もロレンツォ・ロットの代表作の一枚で大変個性的な祭壇画になっています。クリスマスみたいで楽しいですね。
受胎告知(The Annunciation)
「受胎告知」と言えばキリスト教では、天使がマリアに妊娠を伝える重要な場面であり、荘厳なイメージで描かれるのが普通です。「受胎告知」と聞いて多くの人がイメージするのは、ヴェロッキオとレオナルド・ダ・ヴィンチの作品でしょう。
これをロレンツォ・ロットが描くと下図のようになります。
マリアと猫が突然の天使の登場に驚いて逃げようとしています。とっさの人間の行動としてはこちらが正解でしょう。
しかし、「受胎告知」を注文する教会が、人間のとっさの行動を表現してほしいと思っているか?と考えると話は別です。売り物としてはヴェロッキオとダ・ヴィンチが正解だと思います。
ちなみにロレンツォ・ロットだってこんな漫画みたいな絵ばかり描いていた訳ではありません。いくらなんでも時代を先取りし過ぎていて誰も買ってくれないでしょう。それでは生活できません。
白いカーテンの前の若い男性の肖像
下図は、トレヴィソ主教区を取り仕切るBroccardo Malchiostroの肖像画です。一見、美しいけれど何の変哲もない肖像画に見えます。しかし、この中には数々の隠喩が謎かけのように潜んでいます。
まず、背景の白いカーテンです。カーテンは、キリスト教では「隠す」という意味があり、この人物が何かを隠しているか、建前で生きなければならない状態を表しています。
さらに、右側のカーテンの隙間からランプが見えています。この炎は「生命の儚さを表す」という説もありますが、「隠した本音の背後で、淡々と燃える意思と孤独を表している」とする説もあり、この説の方がより説得力があります。
彼は、何か心に秘める強い思いがあるのですが、仕事上それを表に出せずに、ひた隠して建前で生きているのでしょう。彼の表情からは孤高を貫き通そうとする意思が伝わってきます。一体、何を隠しているのか?どのような思いがあるのか?野次馬根性を刺激する一枚です。
ロットの肖像画は、この作品のように多くの隠喩を含み、現在でもすべてが解読されているわけではありません。しかし、大変興味をそそられます。
キリストの神殿奉献 Presentation in the Temple
晩年のロレンツォ・ロットは、視力の著しい低下と精神的不安定さのため、色彩の乏しいシュールレアリズムに近いような作品を残しています。特に有名なのが1556年に描いた「キリストの奉献」です。
キリストの奉献とは、イエスがマリアとヨセフによりエルサレム神殿に連れてこられた時のエピソードです。生後40日のイエスは神殿で清められ、神に捧げられました。
この作品は、ロレンツォ・ロットが死の前年に描いたものです。当時彼は病状も進行し、失明寸前で、さらに経済的にも破綻し、修道院のお世話になっていました。
彼の豊かだった色彩はほとんど抜け落ちていますが、それが彼のこの時の気分を表しているのか、視力の低下のせいなのかはわかりません(視力の変化は一般に色彩に著しい変化をもたらします。特にモネなどは顕著で、視力が低下してから色彩がものすごく派手になりました)。もしかしたら、貧困のため、絵の具が揃えられなかったのかもしれませんね。
しかし、何より注目すべき点は、この絵が2層構造になっている点です。作品の下半分ではイエスの奉献が進行しています。イエスは、これから白い布の机に乗せられ、清められようとするところです。机の脚が人間の脚になっていますが、これはイエスを表しています。
一方、作品の上半分には薄暗い聖歌隊室のような空間が広がっています。部屋には木製の長椅子が設えられ、壁には7枚のロレンツォ・ロットの作品が掛かっています。右側から老人がドアを開けて中を伺っていますが、これはロレンツォ・ロット本人です。
上部の空間はロレンツォ・ロットの精神世界を表しているとも解釈できます(本人がいないのでなんとも言えませんが)。ガランとした部屋は、友人も家族もいないかれの孤独で虚しい人生を、イエスの奉献は彼の信仰を表現しているのでしょう。この作品は西洋美術史で初めて人間の内面を描いた絵画であり、ロットの革新性を如実に表している一枚です。
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