終期(1550〜1567年)
今回はティツィアーノ・ヴェチェッリオ(英:Titian、伊:Tiziano Vecellio、1488/90〜1576)の4回目、ティツィアーノの画家人生の「終期」とその代表作品です。
後期は、1550〜1576年の間で、彼の年齢はおおよそ70〜96歳になります。
70歳を過ぎてもまだまだ精力的なティツィアーノは、1551年、スペイン王フィリペ2世の依頼で「poesie(ポエジア / ポエジー)」と呼ばれるオウィディウスの「変身物語」を題材とした巨大な絵画の制作に取り掛かりました。
オウィディウスは古代ローマの詩人で、「変身物語」はメタモルフォーゼを中心とした15巻からなる物語で構成されています。
ポエジアは1551〜1562年にかけて「ダナエ」を含めて7点制作されました。しかしながら、構図も平凡であり、画面に緻密さもなく、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂の3点の後期の神話画に比べるとつまらない出来栄えとなっています。
・Danae receiving the Golden Rain(ダナエ)1544〜
・Venus and Adonis(ヴィーナスとアドーニス)1553
・Perseus and Andromeda(ペルセウスとアンドロメダ)1554
・The rape of Europa(エウロペの略奪)1560
・Diana and Callisto(ディアーナとカリスト)1556
・Diana and Actaeon (ディアーナとアクタイオン)1556
・Death of Actaeon(アクタイオンの死)未完成
・ダナエ(下図)についてはティツィアーノの後期を参照ください。
・ヴィーナス(アフロディーテ)とアドーニス(下図)
アドーニスは王女ミュラーの子供です。美しいミュラーは、ヴィーナスの嫉妬を買い、父親の子を宿した挙句にミルラの樹に変えられてしまいました。アドーニスは、この樹にイノシシがぶつかった裂け目から生まれてきました。
アドーニスを見たヴィーナスは、この赤ん坊に恋をしてしまい、冥府の女王ペルセポネーに預けました。ところがペルセポネーもアドーニスに恋をしてしまい、成長したアドーニスをどちらが引き取るかでもめました。
その結果、1年を3分割し、4ヶ月をヴィーナスと、さらに4ヶ月をペルセポネーと過ごし、残りの4ヶ月はアドーニスの好きにさせることになりました。ところが、アドーニスは残りの4ヶ月もヴィーナスと過ごしてしまったのです。
これに嫉妬したペルセポネーは、ヴィーナスの恋人の軍神アレスにヴィーナスが人間と浮気していることを告げ口します。怒ったアレスは、イノシシに化け、狩に出かけたアドーニスを殺してしまいました。
この作品は、危険な狩にでるアドーニスをヴィーナスが止めているところです。アドーニスはヴィーナスを振り切ろうとしています。
シェークスピアはこの絵を見て「ヴィーナスとアドーニス」を書いたと言われています。
・ペルセウスとアンドロメダ(下図)
ペルセウスはダナエとゼウスの息子です。ダナエは父アクリシオスによってブロンズの塔に幽閉されていましたが、黄金の雨となって忍び込んだゼウスによって妊娠し、ペルセウスを産み落とします。
アクリシオスは、ダナエとペルセウスを 箱に入れて流してしまいますが、二人はセリーポス島に流れ着きます。その後、ペルセウスは立派に成長し、メドゥーサ退治など数々の冒険をしました。
一方、アンドロメダは、エチオピア王ケペウスと王妃カシオペイアの娘です。カシオペイアが娘の美貌を自慢したため、怒った神々はアンドロメダを海岸に鎖で繋いで怪物ケートスの生贄にしようとしました。
そこへ、メドゥーサを退治したペルセウスがたまたま通りかかりました。ペルセウスは、メドゥーサの首をケートスに見せて石にし、アンドロメダを救い出しました。これがきっかけで二人は結婚します。
・エウロペの略奪(下図)
エウロペは、フェニキア・テュロス王アゲーノールの娘で、ヨーロッパの語源でもあります。ゼウスは、美しいエウロペに一目惚れし、白い牡牛に姿を変えてエウロペに近づきました。エウロペが牡牛の背中に跨ると、牡牛はそのまま彼女をクレタ島に連れ去ってしまいました。クレタ島でエウロペは、ゼウスの子供を3人の産んでいます。
・ ディアーナとカリストー(下図)
ディアーナ(アルテミス)は、狩猟、貞節、月の女神で弓を手にして描かれます。カリストーは、ディアーナの侍女として貞節を誓い、狩を共にしていました。ところが、ある日、カリストーを見初めたゼウスに強姦されてしまいました。
その結果、カリストーは妊娠してしまい、次第にお腹が大きくなりました。カリストーは貞節の誓いを破ったことをディアーナにひた隠しにしていましたが、ある日沐浴の時に衣服を無理やり剥ぎ取られ、妊娠がバレてしまいます。
貞節を破ったカリストーは、熊に変えられてしまいました。哀れに思ったゼウスは彼女をおおくま座にしました。
・ディアーナとアクタイオン(下図1枚目)
・アクタイオンの死(下図2枚目)
アクタイオンは、猟犬を引き連れて狩をしている最中に、運悪くディアーナ(アルテミス)の聖域へと迷い込み、泉で水浴びをしているディアーナを見てしまいました。怒ったディアーナは、アクタイオンを鹿に変え、彼の猟犬をけしかけて殺してしまいました。
・ 1550年、「La Gloria(Trinity)」(下図)の制作を始めました。この作品は1554年に完成しています。
・1555年、「The Doge Grimani adoring Faith」(下図)を依頼されましたが、この作品は死ぬまで完成しませんでした。
・1560年、「Madonna and Child with Saints Luke and Catherine of Alexandria(聖会話)」(下図)を制作しました。この作品は、2011年のオークションでティツィアーノの作品の中で最高値をつけています。
・1560年、80歳のティツィアーノは、サン・サルバドル教会(Church of San Salvador) の「キリストの変容」(下図1〜2枚目)と「受胎告知」(下図3〜4枚目)の制作を始めました。
・1575年、「ピエタ」を書き始めますが、こちらは未完成で終わりました。死後にPalma Giovaneが完成させています。
・1576年、老衰ではなくペストで死亡し、サンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂に埋葬されました。ペストのかからなければ一体なん歳まで生きたのでしょう。
死後、彼のアトリエは、90歳を越えてから描き始めた「Tarquin and Lucretia(ルクレツィアの凌辱)」とフランシスコ・デ・ゴヤの黒い絵を彷彿とさせる「Flaying of Marsyas(皮をはがれるマルシュアス)」が残されていました。
・「Tarquin and Lucretia(ルクレツィアの凌辱)」
ルクレツィアは紀元前6世紀のローマの女性です。ローマの王子セクストゥスは、コッラティヌスの妻であるルクレツィアを強姦し、ルクレツィアは自害してしまいます。これが原因で、王家はローマから追い出され、ローマは共和制になったと言われています。
・「Flaying of Marsyas(皮をはがれるマルシュアス)」
マルシュアスは、アウロスという楽器の名手でした。その名声が音楽の神アポロンの耳に入り、アポロンと音楽で勝負する羽目になりました。結局、マルシュアスはアポロンに負け、生皮を剥がされてしまいました。