新・ノラの絵画の時間

西洋美術史・絵画史上重要な画家たちの代表作品と生涯をまとめました。

ルネサンス絵画の3つの特徴とそれを支えた4つの技術革新

 

 

本項の内容の要約

 

 ルネサンスとは、14世紀にイタリアのフィレンツェを中心に発生した、古代ギリシアやローマを規範とする文化復興運動です。西洋絵画はルネサンス期(特に1400年半ばから1500年半ばまでの100年間)に飛躍的な発展を遂げました。

 

 ルネサンス絵画には、中世に絵画には見られない、「自然主義的な写実性」、「人間性の発露」、「普遍的な美との調和」という3つの大きな特徴があります。

 

 これらの特徴を持った絵画が描かれた背景には、「線遠近法の開発」、「解剖学の成果」、「油彩技術の確立」、「リアリズムとプロポーションの再発見」という、その時代の4つの大きな発見と技術革新がありました。

 

 本項は、ルネサンス絵画の3つの特徴と、それを支えた4つの発見をわかりやすく解説することを目的としています。

 

ルネサンス期の絵画の3つの特徴

 

 ルネサンス以前の中世の絵画は、キリスト教絵画や装飾写本が中心であり、形式が決められていました。人物は平面的で、無表情な顔つきをしていて彫像のようでした。また、空間や背景が描かれることは少なく、描かれたとしても、建物は平面的で、人物は宙に浮いたような状態でした。ルネサンス期になると人物は写実的で情感豊かになり、空間との関係性も構築されるようになります(下図はルネサンス初期のチマブーエとドゥッチョの作品)。

 

 

 

自然主義的な写実性 

 

 ルネサンス絵画の大きな特徴は「写実性」にあります。写実性とは、中世の絵画のように形式にとらわれるのではなく、「見たまま、見えたままに描く」ということです。このようなスタイルを絵画の世界では「自然主義」と言います。

 

 ルネサンス絵画では、中世絵画とは異なり、陰影によって人物や物が立体的に描かれるようになりました。さらに、背景や建物にも奥行きが出て、人物はきちんと大地に足がついた状態で描かれるようになったのです。

 

 まとめれば、「中世まで表象的に描かれていた絵画の対象が、周囲の空間とともに立体的かつ写実的に表現されるようになった」ことがルネサンス絵画の最大の特徴の一つです(下図はレオナルド・ダ・ヴィンチの聖母子。上記のチマブーエの作品に比較すると格段に写実的です)。

 

 

人間性の発露

 

 中世はキリスト教が強い力を持っていたため、神や教会が中心の世界でした。ルネサンスでは、人間が中心であった古代ギリシアやローマを規範として、ヒューマニズムを取り戻そうとしました。

 

 絵画においてヒューマニズムは、人物の「感情表現」に現れます。中世絵画の人物は決まったポーズをとり、表情はなく、みな同じような顔で描かれています。一方、ルネサンス絵画では、人物はそれぞれ違った顔を持ち、表情や仕草で内面の感情を表出するようになりました。

 

 下図1枚目は初期ルネサンスの画家マサッチオの「楽園追放」です。楽園を追放されたアダムとイヴの悲しみがよくわかります。2枚目は盛期ルネサンスの画家ロレンツォ・ロットの「受胎告知」です。妊娠を知らせに来た天使に驚いてマリアと猫が逃げています。

 

 

 

普遍的な美との調和 

 

 古代ギリシアやローマを規範としたルネサンスの画家たちは、人体の理想的な比率(プロポーション)黄金比率などを研究し、「普遍的な美」を追求するようになりました。

 

 現実を忠実に写し取ろうとする自然主義と、プロポーションを追求する理想的な美は一見相容れないものですが、ルネサンス絵画は両者の調和を目指したのです。特にこの考え方が強かったのは、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロなどの盛期ルネサンスの画家たちです。

 

 ダ・ヴィンチは、理想的な人体を図案化した「Uomo(ウィトルウィウス人体図)」(下図1枚目)やルカ・パチョーリ(Luca Pacioli 1445〜1517)の著書「De divina proportione(黄金比)」の挿絵を描き、ミケランジェロは、理想を追求するあまり、老いも若きも筋肉むきむきの身体にしてしまいました(下図2枚目)。

 

 

 

 ラファエロは、ダ・ヴィンチやミケランジェロの知見を活かし、写実性と理想美を調和させることに最も成功した画家です。しかし、完全に調和した作品は、見ていて美しくはありますが、おもしろ味に欠けます。

 

 

▶︎もっと詳しく! レオナルド・ダ・ヴィンチと黄金分割 

 

 

ルネサンス期の絵画の革命を可能にした4つの発見と技術革新

 

 このようなルネサンスの絵画の革新を可能にした背景には、「線遠近法の開発」、「解剖学の成果」、「油彩技術の確立」、「リアリズムとプロポーションの再発見」という4つの技術革新と発見があります。

 

線遠近法の開発

 

 遠近法は、立体的で自然に見える三次元空間を、二次元平面上に描く上で欠かせない技術です。ルネサンス絵画の開祖は1300年代の画家ジョット・ディ・ボンドーネであると言われていますが、その理由の一つは遠近法の使用にあります。それくらいルネサンス絵画にとって遠近法は重要なのです(下図はジョットの作品)。

 

 

 遠近法を理論家し、透視図法(線遠近法)を世界で初めて開発したのは、ルネサンス時代のイタリア・フィレンツィの天才建築家フィリッポ・ブルネレスキ(Filippo Brunelleschi 1377〜1446)です。

 

 その後、彫刻家のドナテッロは世界初の透視図法を使った彫刻(下図1枚目)を、また、画家のマサッチオは世界初の透視図を用いた絵画を作成しました(下図2枚目)。さらに、レオン・バッティスタ・アルベルティ(Leon Battista Alberti 1404〜1472)は、透視図法の理論を著書「絵画論」で紹介し、遠近法を一般に広めました。

 

 

 

▶︎もっと詳しく! ルネサンス絵画と遠近法の歴史

 

解剖学の成果

 

 中世の間、医学はまったく進歩せず、ローマ時代の医者ガレノスの医学書が1300年間医学の聖典として使われていました。しかし、ガレノスの医学書には多くの間違いがありました。

 

 1315年、イタリア・ボローニャ大学講師モンディーノ・デ・ルッツィが西ヨーロッパ初となる人体解剖を行いました。しかし、ガレノスの影響が強かったため、彼の解剖の観察結果には多くの間違いがありました。

 

 1400年代の終わりになると、画家たちは人間をより写実的に描くために遺体を解剖して、骨格や筋肉のつきかたを研究するようになりました。

 

 中でもレオナルド・ダ・ヴィンチは、1489年から生涯に30体の遺体を解剖し、膨大な数のスケッチを描きました(下図1枚目)。ダ・ヴィンチの解剖スケッチは、その正確さにおいて比類のないものでしたが、出版されることはありませんでした。そのため、「近代解剖学の祖」という称号を後進のアンドレア・ヴェサリウスに譲ることになりました。

 

 しかし、これらの解剖学の知見によって、人体表現はより写実的なものになりました(下図2枚目はミケランジェロの作品)。

 

▶︎もっと詳しく! ダ・ヴィンチと解剖学の歴史

 

  

 

油彩技術の確立

 

 ルネサンス以前の絵画はテンペラかフレスコ画でした。ルネサンスになると油彩技術が発展し、テンペラに取って代わるようになりました。

 

 油彩技術は5世紀頃からインドやアフガニスタンで使われていましたが、ネーデルランドの画家ヤン・ファン・エイク(下図1枚目は自画像、2枚目はヤンの作品)がその技術を発展させて、現在の油彩技術の基礎を確立しました。テンペラに比べて油彩は乾燥が遅いため、様々なテクニックが使えるようになり、写実性が格段に向上しました。

 

 最初のうち、画家たちは木の板に油彩で絵を描いていましたが、その後、港湾都市ヴェネツィアで帆布を使ったキャンバスが開発され、より安価で軽い絵が制作できるようになりました。キャンバスの開発がきっかけとなり、絵画は一般に流通するようになっていきました。

 

 

  

リアリズムとプロポーションの再発見

 

 古代ギリシアやローマでは、神が創った人間には、理想的な比率(プロポーション)が隠されていると考えられていました。そこで、彼らは、理想的な人体の比率を研究し、建築などに活かそうと考えました。

 

 古代ギリシアの彫刻家・建築家ポリュクレイトスは著書「カノン」で、また、ローマ時代の建築家マルクス・ウィトルウィウス・ポッリオは彼の著書「建築論」で人体に言及し、理想的な人体比率に決定しようとしました。このウィトルウィウスの人体比率を使って作成されたのがダ・ヴィンチの「ウィトルウィウス人体図」です。

 

 ルネサンス絵画では、古代ギリシアやローマのリアリズムが再発見されて写実性や情緒表現に使わると同時に、古代の普遍的な美に対する考え方も再発見され、理想的なプロポーションが研究されるようになりました。下図はポリュクレイトスの作品です。

 

 

 ルネサンスにおける絵画の革命の背景には、当時の社会情勢だけではなく、これらの技術革新と発見も大きく貢献していたのです。

 

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