- クエンティン・マサイス(Quentin Massys / Quinten Massijs 1465/66 - 1530)概論
- クエンティン・マサイス(Quentin Massys / Quinten Massijs 1465/66 - 1530)の生涯と代表作品
クエンティン・マサイス(Quentin Massys / Quinten Massijs 1465/66 - 1530)概論
クエンティン・マサイスは、フランドル・ルネサンスの時代にネールランドのルーヴェンで生まれ、アントワープで活躍した初期フランドル派(初期ネーデルランド派)の画家でアントワープ派の創始者でもあります。
彼は、ディルク・ボウツ、ヤン・ファン・エイク、ファン・デル・ウェイデン、ハンス・メムリングなどの影響を受け、同時にレオナルド・ダ・ヴィンチにも傾倒していました。
また、中世の宗教画様式の肖像画から脱却し、自由に動いている人物の肖像画を描いた最初期の画家で、また、風俗画の開祖でもあります。下図は「髪をかきむしる老女」と「商談」です。
彼の代表作の一つは、1515年の「The Ugly Duchess(Grotesque Old Woman)(醜い公爵夫人の肖像)」 でしょう。
この作品は、ネーデルランドの人文学者デジデリウス・エラスムスの「In Praise of Folly」というエッセイに基づいた寓意画であるとも、寓意画ではなく、モデルがペーチェット病(骨変形を起こす代謝疾患)だったに違いないとも言われていますが真相は不明です。
ただ、クエンティン・マサイスとデジデリウス・エラスムスは親交があったので、最初の説の方が信憑性がありそうです(下図はマサイスの描いたエラスムスの肖像)。エラスムスのエッセイは、醜女の恋ほどみっともないものはないという偏見に満ちた酷い内容です。
この作品では、女性(女装したおっさん?)が花を持っていますが、これは恋愛または結婚の寓意で、蕾なのはそれが成就しないことを表しているそうです。
一昔前まで、この作品はレオナルド・ダ・ヴィンチのものだと思われていました。なぜなら、彼のドローイング(下図)に酷似しているからです。しかし、その後、マサイスとダ・ヴィンチは知り合いでドローイングを交換していたのではないか?という説が浮上し、現在ではマサイスの作品であると言われています。
この「醜い公爵夫人」は、ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」に出てくる公爵夫人(下図1枚目)のモデルになっていることでも知られています。ティム・バートン監督の「アリス・イン・ワンダーランド」に出てくる「赤の女王」(下図2枚目)のモデルも「醜い公爵夫人」なのではないかと個人的には睨んでいます。
クエンティン・マサイス(Quentin Massys / Quinten Massijs 1465/66 - 1530)の生涯と代表作品
初期
・1465/ 1466年、クエンティン・マサイスは、ネーデルランド州のルーヴェンで生まれました。
彼は、鉄鍛冶職人の父親Joost Matsysと 母親Catherine van Kinckenの子供で、4人兄弟でした。
クエンティン・マサイスの修行時代については資料がないために明らかになっていません。初期の絵画スタイルがディルク・ボウツに似ていることから、彼の工房で修行していたのではないかと考えられていますが、独学であった可能性もあります。
父親Joost Matsysは、高名な職人でかなりの報酬を得ていたらしく、マサイスの家は裕福でした。当初マサイスも鍛冶職人だったようですが、妻に懇願されてか、妻を娶るために画家に転身したという伝説があります(信憑性は定かではありません)。
しかし、実際には体が弱すぎて鍛冶屋が勤まらなかったからだろうと言われています。
・1491年、25歳の時にアントワープに引っ越しして、アントワープの画家ギルドにマスターとして登録されました。マサイスはその後、アントワープで最初の巨匠となり、アントワープ派の始祖と言われるようになります。
クエンティン・マサイスはアントワープで工房を開きますが、彼はアントワープ時代4人の弟子しかいませんでした。同時代のラファエロが50人の工房を維持していたことを考えるとかなり少ないようです。
1490 Christ on the Cross Between the Virgin, Saint John and Two Donors
4人の中には入っていませんが、風景画の開祖の一人であるJoachim Patinir(ヨアヒム・パティニール)も彼の工房で働いていたようです。
この作品の背景はパティニールが描いたと信じられています。
パティニールの死後、マサイスは彼の子供達の保護者になっています。マサイスにも13人も子供がいたのに・・・男気がありますね。
・1492年、Alyt van Tuylt と結婚し、3人の子供をもうけました。
1495 The Virgin and Child Enthroned with Four Angels
1495 Virgin and Child
この頃、初期の代表作である2枚の聖母子像を描いています。衣服の襞の描き方がすごく上手!です。とても柔らかそうで柔軟剤で仕上げたように描けてます。
1507 St Anne Altarpiece
・1507年から1508年にかけて、彼の代表作である「St Anne Altarpiece(The Holy Kinship)」と「St John Altarpiece(The Entombment of the Lord)」の依頼がルーヴェンのSaint-Pieter協会から入りました。
「St Anne Altarpiece」の中心のパネルは木枠と建屋の構造がうまく調和し、大変美しい作品に仕上がっています。間違いなくマサイスの最高傑作でしょう。
1508 St John Altarpiece
1509 Virgin and Child Surrounded by Angels
中期
中期から、宗教画よりも肖像画や風俗画が多くなってきます。
・1507年、最初の妻Alyt van Tuyltが亡くなりました。
・1508年、Catherina Heynsと再婚し、10人の子供をもうけました。子供達の中には、長じて画家となるヤン・マサイスとコルネリス・マサイスも含まれています。さらに、ヤンの息子クエンティン・マサイスも画家になっています。
1510 Cannon Stephen Gardiner
1513 Madonna and Child with the Lamb(聖母子と子羊)
この聖母子像にはレオナルド・ダ・ヴィンチの影響が見られます。影響というよりパクリと言ったほうが的確かもしれません(2枚目はダ・ヴィンチの作品)。
1514年、17世紀にフランドルで盛んになった風俗画のはしりとなる「The Money Changer and His Wife(金貸しとその妻)」を描きました。
1514 The Money Changer and His Wife(金貸しとその妻)
両替商の夫が金貨の重さを図っています。妻は本そっちのけで金貨の重さを気にしています。本の挿絵は聖母子であることから、キリスト教関係の本を読んでいたことがわかります。
この作品は、単なる風俗画ではなく、キリスト教をないがしろにし、現生の利益を追い求める夫婦を描いた寓意画でもあります。
1515 The Ugly Duchess (醜い公爵夫人)
1515 Ecce Homo
このキリストのうんざりしたような顔はかなりイケています。
1515 Head of an Old Man
1515 Mary Magdalene
・1520年、ドイツの画家アルブレヒト・デューラーがアントワープのマサイスの元を訪ねています。マサイスは、デューラーのほかにハンス・ホルベインとも親交があり、彼の肖像画にはデューラーとホルベインの影響が見られます(下図1枚目はホルベイン、2枚目はデューラー。マサイスの作品ではありません)。
1520 Man with Glasses
1520 Portrait of a woman
1520 Ill-Matched Lovers (不釣り合いな恋人たち)
若い女は、好色じじいに言いより、隙を見て財布を盗ろうとしています。共犯のお兄さんは舌なめずりをしていますね。この表現は15世紀からあったんですね。
この作品の好色な男の表情もレオナルド・ダ・ヴィンチのドローイングを参考にしたと言われています。
後期
後期になるとまた宗教画が増えてきます。この頃はダ・ヴィンチの影響が見られる聖母像をたくさん描いています。でも、あんまり上手とは言えません。中期より腕が落ちている気がします。
1525 The Virgin Enthroned
キリストがひどい。まるで猿かおっさんのようです。
1526 The Adoration of the Magi
この作品は細かいところまで執拗に描き込んでいて、マサイスらしさが出ています。
・1530年、疫病にて死亡しました。65歳でした。