新・ノラの絵画の時間

西洋美術史・絵画史上重要な画家たちの代表作品と生涯をまとめました。

ロヒール・ファン・デル・ウェイデンの生涯と代表作品(4) ネーデルランドの画家ウェイデンの晩期の絵画まとめ

 

 

ロヒール・ファン・デル・ウェイデン(Rogier van der Weyden 1399/1400 - 1464)の晩期の代表作品

   

ロヒール・ファン・デル・ウェイデンのブリュッセル時代(1450〜1464年)の代表作品

 

・1450年「ボーヌの祭壇画」(下記)を納品するためにフランス東部のボーヌに趣き、その後、その年に死亡した長女マルガレーテのためにローマまで巡礼の旅に出ました。

 

1445 Beaune Altarpiece(ボーヌの祭壇画)

 この作品は1445年から1550年の間に制作された9枚のパネルからなる巨大な祭壇画で、ロヒール・ファン・デル・ウェイデンの代表作の1つです。

 ブルゴーニュの財務大臣Nicolas Rolin夫妻が、ホスピス・ド・ボーヌ(ボーヌにある救貧院)のために依頼した作品で、閉じたパネルの両翼に夫妻の肖像画が入っています。

 

 

 パネルを開いた状態。中央パネルでは、キリストの足元で、大天使ミカエルが魂の重さを天秤ではかり、天国か地獄行きかを決めています。この祭壇画では、キリストの右手側に天国の入り口があり、左手側が地獄への道になります。

 

 

 キリストの足元では大天使ミカエルによる魂の計量が行われています。二人の魂が天秤にかけられています。善人の魂の方が天秤が上がっています。魂は軽い方がいいみたいですね。

 

 このシステムだと、比較される人間が極悪人なら誰でも天国に行けそうです。逆に、相手がすごくいい人だと、自分が多少善人でも地獄行きです。あまりフェアなシステムとは言えません。

 

 

 左パネルの天国への入り口。

 

 

 パネル右側は地獄。

 

 

・1450年以降、ロヒール・ファン・デル・ウェイデンは国際的な名声を獲得し、 エステ家、メディチ家といった貴族たちがファン・デル・ウェイデンに絵画の制作を依頼しています。

 

1453 Medici Madonna 

  メディチ家の依頼で描かれた聖母子です。まったく面白みのない作品ですね。

 

 

1460 Portrait of Francesco d'Este

 フェッラーラを統治するデステ家の依頼で制作したフランチェスコ・デステの肖像です。

 

 

1450 Portrait of Philip the Good
1450 Portrait of Isabella of Portugal 
1460 Portrait of Antoine, 'Grand Bâtard' of Burgundy

 下図1枚目は、当時のブルゴーニュを治めてたブルゴーニュ公フィリップ3世の肖像画です。2枚目は、フィリップ3世の妻、ポルトガルの王妃イザベラの肖像画、3枚目は、フィリップ3世の息子Antoine de Bourgogneの肖像画です。息子といってもイザベラとの子ではなく、愛人との間の子供です。

 

 フィリップ3世は、2回結婚しましたが、2回とも奥さんが早くになくなり、子供がありませんでした。そこで、政治的な配慮もあり、ポルトガルの王妃イザベラを妻に迎えることとしました。イザベラは、18歳の時にイギリスのヘンリー8世とお見合いをしましたが、うまくいかず、30歳近いのに独身のままでした。

 

   この結婚のためにポルトガルに派遣されたのが、ファン・デル・ウェイデンと並んで初期フランドル派の巨匠であるヤン・ファン・エイクです。当時ヤンはフィリップ3世の宮廷画家をしており、結婚のためのポルトガル使節団に随行してイザベラの肖像画を描いてフィリップ3世のために持ち帰るように指示されていました。

 

    ヤンの肖像画は実物より美人に描けていたため、フィリップ3世もイザベラを気に入り、二人は無事にゴールインしています。

 

 

 

 

1460 Portrait of a Lady

    この肖像画は、ファン デル ウェイデンの晩年(60歳頃)の作品ですが、モデルは明らかになっていません。不思議な顔の女性ですがとても魅力のあるポートレートです。

  この肖像画のように、モデルを斜め横から見て描いたのは、フランドル派ではヤン ファン エイクが最初だと言われています。

 

 

1450 The Justice of Trajan and Herkinbald(トラヤヌスとエルケンバルドの正義)

    この作品は、もともとブリュッセルの「黄金の議場」のホールに掛けられていた4枚の巨大なパネル絵です。残念ながらオリジナルは1695年のフランス軍の攻撃で焼失し、現在は、オリジナルを写し取ったタペストリーが残っています。

 

 4枚の板絵のうち、2枚はローマ皇帝トラヤヌス帝の正義を、また、残り2枚はエルケンバルドの正義を描いています。二人の共通点は、身内を断罪していることです。

 

 トラヤヌス帝は、息子を殺された母親の訴えを聞き入れ、自分の兵士を処刑しました。トラヤヌス帝は死して骸骨になっても舌だけが残り、正義を貫きました。

 

 一方、エルケンバルドは、病床でレイプ犯の甥の首をかき切りました。死の床での告解で彼は甥の殺害については言及しませんでした。なぜなら甥の殺害は罪ではなく、正義であると彼は信じていたからです。

 

 

 

 この作品の中の観衆の一人はファン・デル・ウェイデン自身であると言われています。

 

 

1452 Braque Triptych

    本作品は、ジャン ブラックかその妻の依頼で制作された三連祭壇画です。閉じると頭蓋骨とブラック家の紋章があり、開くと洗礼者ヨハネ、マリア、イエス、弟子のヨハネ、マグダラのマリアの順で並んだパネルが現れます。

 

    この作品の表紙パネルはちょっと不気味ですが、ジャン ブラックが急死したために、妻が故人を偲んで制作させたのではないかと推測されています。ジャンは、40歳を過ぎてから若い妻を娶りましたが、一年後に急死してしまいました。ジャンの妻はその後再婚していますが、50年後に死の床でジャンのとなりに埋葬されることを切望し、今は隣り合って眠っているそうです。

 

 

 

1455 Saint Columba Altarpiece

 この作品はキリストのエピソードを描いたものです。左パネルは「受胎告知」、中心が「東方三博士の礼拝」、右パネルが「イエスの迎接」となっています。

 

 

1455 St John Altarpiece

 この作品は洗礼者ヨハネの一生を描いたものです。左パネルからヨハネの誕生、キリストへの洗礼、そしてヨハネの死を描いています。

 

 ヨハネは、当時の領主ヘロデの結婚に反対し、ヘロデの妻ヘロデアの恨みを買って、ヘロデアの娘に首を切られてしまいました。

 

 

1460 Crucifixion Diptych

 

 

・1464年、ファン・デル・ウェイデンは64歳で死去し、聖ミシェル・エ・ギュデル大聖堂 (St. Michael and St. Gudula Cathedral) の聖カテリナ礼拝堂に埋葬されました。

 

 

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