イタリアのルネサンスと北ヨーロッパのルネサンス
14〜15世紀頃、イタリアのルネサンスから数十年遅れて北ヨーロッパの各地でもルネサンスが起き、絵画に革命がもたらされました。
北ヨーロッパのルネサンスは、イタリアのルネサンスのように「古代のギリシアやローマをお手本にしよう!」と言ういわゆる文芸復興ではなく、それまでの芸術の延長線上に革命的な技術や考え方が上乗せされた形で生まれてきました。
したがって、同じ「ルネサンス」と言う言葉がついていても、イタリアのルネサンスとは内容が異なります。
もともと「ルネサンス」とは「再生」や「復興」を意味する単語なので、本来は文芸復興を目指したイタリアの芸術革命だけに使うべきです。
でも、現在では「人類の目ざめ」的なイメージで使っているため、古代ギリシアやローマの「芸術的再生」と関係なくても「ルネサンス」と言う言葉を使っています。
現在のオランダやベルギーに位置するネーデルランドでも、イタリアから100年遅れてルネサンスが起こりました。ネーデルランド・ルネサンスは、イタリアのルネサンスが波及したわけではなく、その地域で独自に起きた芸術革命です。
(sekainorekishi.comより転載)
この革命は、通称「フレマールの画家」から始まったと現在の研究者たちは考えています。「フレマールの画家」は、誰だかわかっていませんでしたが、1900年代に入ってロベルト・カンピン(Robert Campin 1375 - 1444)ではないか?と言うことになり、現在ではロベルト・カンピン=「フレマールの画家」となっています。
つまり、ロベルト・カンピンこそがネーデルランド・ルネサンスの開祖であると言う位置付けになったのです。詳しくは下記をご参照ください。
ロベルト・カンピンの生涯と代表作品(1) 初期フランドル派の開祖「フレマールの画家」とカンピン
ロベルト・カンピン (Robert Campin 1375 - 1444)の生涯と代表作品
・1375年にロベルト・カンピンは生まれたと考えられていますが、幼少期の記録はまったくないため、出生地や教育については不明です。ただ、ヴァレンシアの出身で、初期には装飾写本の挿絵を描いていたのではないかと推測されています。
・1406年、Tournai(トゥルネー / 現在のベルギー )の金細工師と画家のギルド聖ルカ組合のメンバーとして名前が登録されました。
・1408年、33際のカンピンはトゥルネーに家を購入しています。
・1410年、 トゥルネーの市民権を獲得しました。この頃、ヤン・ファン・エイクのもとで修行した可能性が指摘されていますが、ヤンは20歳にもなっていないので、その可能性は低いでしょう。ヤンはカンピンより年下です。
この頃すでにカンピンは人気画家となっており、大規模な工房を運営していました。
1410 Thief on the Cross(十字架上の盗賊)
失われた祭壇画の一翼です。背景は金色で、国際ゴシック色が強く残っていますが、磔刑にされている人物は大変写実的になっています。特にへそとお腹のシワがすごくないですか?私ももう少し痩せてこれくらいシワの寄るお腹になりたいです。
下はカンピンの作品の、弟子たちによるコピーです。上記パネルが右側にある三連祭壇画だったことがわかります。上述の作品が「十字架上のキリスト」ではなく「十字架上の盗賊」となっている理由もこのコピーから明らかです。中心のパネルがキリストで、両側はキリストと一緒に磔になった犯罪者だからです。
・1420年代初頭、ヴァレンシアでは国王カール5世の封建的君主制に対して、芸術家ギルドが反旗を翻し、革命が勃発しました。ロベエルト・カンピンもこの革命に加担していました。
1420 Nativity(キリスト降誕)
1420 Entombment Triptych(キリストの埋葬)
中央パネルの右にいる天使が泣いています。この頃の絵で感情をあらわにする天使は大変珍しいと思います。オリジナリティがあっていいですね。
1420 Annunciation(受胎告知)
天使がマリアに受胎を告知する場面です。建物の細かさがすごい!ロベルト・カンピンもヤン・ファン・エイクも教会の建物をものすごく詳細に描いています。初期ネーデルランド派の特徴ですね。
・1423年、トゥルネーの市議会はギルドが取り仕切るようになりました。同年から2年間、カンピンは金細工師と画家のギルド聖ルカ組合の代表を務めました。
・1427年、カンピンは市議会における全ギルドの代表者となりました。全ギルドの代表ですから、ざっくり言えば市長みたいなものです。もはや画家ではなく大政治家です。
同年、カンピンの最も優秀な弟子であるジャック・ダレーとロヒール・ファン・デル・ウェイデンが彼の工房に弟子入りしています。
1427 Mérode Altarpiece
同年、彼のマスターピースである「メロードの祭壇画」が完成しました。遠近法は不正確ですが、陰影をつけて細かいところまで写実的に描き込んでいます。素晴らしい出来栄えです。中心のパネルは「受胎告知」となっており、1420年に制作されたと思われる「受胎告知」と同じ構図になっています。
1428 Marriage of the Virgin(聖母の婚礼)
before 1430 Virgin and Child(聖母子)
片手を暖炉にかざしているところが人間らしくてとてもいい作品だと思います。イエスが火を熱がっているので、手で火を避けてあげてるのかもしれません。いい作品だなぁ。
・1429年、ギルドによる市議会の支配が終わってしまいました。議会を支配していたカンピンらギルドのリーダーたちは、裁判にかけられ有罪となりました。
カンピンは罰としてSaint-Gilles(サン・ジル)への巡礼を言い渡されています。
カンピンはYsabel de Stocquainと結婚しましたが、子供はできませんでした。
・1432年、Laurence Poletteと不倫が表沙汰になり、裁判の末、1年間追放処分となってしまいました。ブルゴーニュ公ジャン1世の妹、公妃マルグリット・ド・ブルゴーニュのとりなしにより、罰金刑に減刑されています。
カンピンは姦通罪があるにも関わらず、奥さんと住まずに愛人と住んでいました。脇が甘いですね。
その後も画家として活動し、1444年に70歳近くで死亡しています。
1433 Holy Trinity
1440 Virgin and Child with a Firescreen(炉格子の前の聖母)
タイトルの「firescreen」とは暖炉の前の熱よけのスクリーンです。この作品では、聖母の後ろに黒い暖炉があり、その前に丸い「firescreen」があります。丸いスクリーンは、聖母のハロー(頭から出てる光みたいなやつ)の役割を果たしていると言う学者もいますが、他の作品を見てお分かりのように、カンピンはハローを描き入れていないので、これは考えすぎです。
1438 The Werl Triptych
この作品はロベルト・カンピンではないかと言う意見もありますが、明らかにタッチがヤン・ファン・エイクのものです。凸面鏡などは「アルノルフィーニ夫妻の肖像」と全く同じです。凸面鏡を拡大すると杖をついた親子が現れます。だれ?
しかも、右側の聖母はロヒール・ファン・デル・ウェイデンの構図と全く同じです。
ヤンの作品ではなく、おそらく彼の一番弟子のペトルス・クリストゥスの作品の可能性が高いと思います。
ロベルト・カンピンの記事一覧
ロベルト・カンピンの生涯と代表作品(1) 初期フランドル派の開祖「フレマールの画家」とカンピン
ロベルト・カンピンの生涯と代表作品(2) 北ヨーロッパ・ルネサンスの巨匠カンピンの絵画 - 新・ノラの絵画の時間