新・ノラの絵画の時間

西洋美術史・絵画史上重要な画家たちの代表作品と生涯をまとめました。

3分でわかる初期ネーデルランド派(2) ネーデルランド(フランドル)・ルネサンスの主要画家と代表作品(1)

 

 

ネーデルランド(フランドル)・ルネサンス概説

 

 ネーデルランドは、低地の国々という意味で、現在のベルギー、オランダ、ルクセンブルにあたる地域です。ネーデルランドのフランドル地方は、毛織物の盛んな国際先進都市であり、文化と経済の一大中心地でした。

 

 ネーデルランド(フランドル)・ルネサンスは、イタリアから遅れること100年、1420年代から始まり、1500年代半ばまで続きました。このネーデルランド(フランドル)・ルネサンス期に活躍した画家たちを「初期ネーデルランド派(初期フランドル派)」と言います。

 

 ネーデルランドの絵画の前身は、装飾写本(ミニアチュール)の挿絵です。ネーデルランドは、修道院が多かったため、装飾写本作りが盛んでした。その後、装飾写本は修道院ではなく、職人が工房で作るようになり、質が飛躍的に向上しました。

 

 1400年代初め、写本の技術がメルキオール・ブルーデルラムロベルト・カンピンらによって祭壇画に応用されるようになり、祭壇画のパネル絵が描かれるようになりました。これがネーデルランド(フランドル)・ルネサンスの始まりです。

 

 ネーデルランドの絵画は、1400年代を通じて国際的にもてはやされましたが、1500年代になると宗教改革やイタリア絵画の台頭で衰退していきました。

 

 一旦は衰退しますが、この地域はその後、ピーテル・パウル・ルーベンス(Peter Paul Rubens 1577 - 1640)、レンブラントレンブラント・ハルメンソーン・ファン・レイン(Rembrandt Harmenszoon van Rijn  1606 - 1669)、ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer 1632 - 1675)など、バロック期に活躍する巨匠を生み出しています。

 

 

ネーデルランド(フランドル)・ルネサンスの代表的な画家と作品

 

 ネーデルランド(フランドル)・ルネサンスは、装飾写本の技術を板絵に用い、高い写実性を実現したフレマールの修道院にある数点の祭壇画から始まったとされています。

 

 この祭壇画を描いた画家はわかっていないため、「フレマールの画家」と呼ばれていましたが、現在ではロベルト・カンピンではないかと考えられています。

 

 その、すごーく薄弱な根拠は、たぶんロベルト・カンピンの弟子だったであろうジャック・ダレーの作風が「フレマールの画家」に似ているという点のみです。

 弟子(かもしれない)画家の作品が「フレマールの画家」の作品に似ているんだから、その師匠が「フレマールの画家」に違いない!という大変短絡的な推理に基づいています。 

 

 ちなみに、ネーデルランド(フランドル)・ルネサンスで最も重要な画家の三頭はロベルト・カンピン、ヤン・ファン・エイク、ロヒール・ファン・デル・ウェイデンです。

 

 

1300年代 (生年順)

 

メルキオール・ブルーデルラム(Melchior Broederlam 1350 - 1409)

 初期ネーデルランド派(初期フランドル派)の最初期の画家です。キャリア初期に長期間イタリアに滞在し、その後、宮廷画家になりました。ほぼ確実にブルーデルラムの作品であろうと考えられているのは板に描かれた祭壇画のわずか一作品、「ディジョンの祭壇画」だけです。

 

 

 

ジャン・マルエル(Jan Maelwael / Jean Malouel 1365 - 1415)

 リンブルグ兄弟の叔父で宮廷画家でした。マスターピースの「聖ドニ祭壇画」を制作中に死亡し、後任の宮廷画家アンリ・ベルジョーズが作品を完成させました。

 

 

ロベルト・カンピン(Robert Campin 1375 - 1444)

 初期ネーデルランド派(フランドル派)最初の偉大なる画家であるとされています。たぶん「フレマールの画家 (Master of Flémalle)」ではないかと言われていますが確証はありません。実は、これは間違いなくカンピンの絵だ!と言い切れる作品は一点もないのです。

 ロベルト・カンピンの弟子は、ロヒール・ファン・デル・ウェイデンジャック・ダレーであると考えられています。

 

 

 

リンブルグ三兄弟(Gebroeders van Limburg 1385 - )

 ポル(Pol)、ヨハン(Johan、Hennequin)、ヘルマン(Herman)の3兄弟で装飾写本の頂点を極めました。代表作は「ベリー公のいとも豪華なる時祷書(Les Très Riches Heures du Duc de Berry)」です。

 

 

 

 

アンリ・べルジョーズ(Henri Bellechose ? - 1445)

 初期ネーデルランド派(フランドル派)最初期の画家です。宮廷画家ジャン・マルエルの後任の宮廷画家であり、彼の死亡により未完成であった「聖ドニ祭壇画」を完成させました。アンリ・ベルジョーンズの作品で現存するものは2作品しかありません。

 

 

ヤン・ファン・エイク(Jan van Eyck 1395 - 1441)

 初期ネーデルランド派(フランドル派)で最も重要な画家です。大変教養があり、ブルゴーニュ公フィリップ3世の宮廷画家兼外交官でした(アンリ・ベルジョーンズの後任の宮廷画家です)。

 油彩技術を改良と確立し、世界初の世俗人の肖像画を描き、風景画のジャンルができる基礎を築きました。「モナ・リザ」などに見られるスリークオーター(斜め前)から描かれた肖像画を最初に考案したのもヤン・ファン・エイクです。

 弟子はペトルス・クリストゥスです。

 

フーベルト・ファン・エイク(Hubert van Eyck)

 ヤン・ファン・エイクの兄。「ヘントの祭壇画」を作成中に死亡し、ヤンが仕上げました。現存する作品で、彼が描いたと確実視されるものは一点もありません。

 弟子はヨース・ファン・ ワッセンホフです。

 

 

 

 

 

ロヒール・ファン・デル・ウェイデン(Rogier van der Weyden 1399/1400 - 1464)

 ロベルト・カンピンの弟子で、初期ネーデルランド派(フランドル派)の最重要画家の一人です。当時はヤン・ファン・エイクをしのぐほど人気があったそうです。聖家族を中心に配置せず、背景に連続性持たせた多翼祭壇画を制作しました。

 

 

 

 

 次回は1400年代生まれの画家達です。

 

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