新・ノラの絵画の時間

西洋美術史・絵画史上重要な画家たちの代表作品と生涯をまとめました。

ヤン・ファン・エイクの生涯と代表作品(2) 北ヨーロッパ・ルネサンスの巨匠、エイクの人生と絵画一覧

 

 

ヤン・ファン・エイク (Jan van Eyck 1395 - 1441)概論(2)

 

 今回はヤン・ファン・エイクの2回目、彼の脂の乗り切った頃の前半の作品です。 

 

 ヤン・ファン・エイクは、初期フランドル派(初期ネーデルランド派)の開祖であり、北方ルネサンスの一つであるネーデルランド・ルネサンスの最初期の画家です。彼は、徹底した観察と驚異的な写実性によって北ヨーロッパのルネサンスを牽引しました。

 

 ヤンは、画家として極めて優秀だっただけでなく、油彩画技術を確立し、three-quarter portrait(斜めからの視点で描いた肖像画)を開発し、数々の宗教的表象を絵画に取り入れたことでも知られています。さらに、画面にサインと日付を最初に入れたのもヤン・ファン・エイクです。その後、彼に倣って多くの画家が作品にサインを入れるようになりました。

 

 修行時代のヤン・ファン・エイクの経歴については一切明らかになっていませんが、多くの研究者は装飾写本の制作に携わっていたのではないかと考えています。

 

  

ヤン・ファン・エイク(Jan van Eyck 1395 - 1441)生涯と代表作品

 

盛期

 

・1422年、ヤン・ファン・エイクは、バイエルン公ヨハン3世(John III the Pitiless, ruler of Holland and Hainaut)の宮廷画家となり、拠点をハーグ(Hague)に移し、自分の工房を構えました。

 

・1425年、バイエルン公ヨハン3世が死去したため、ネーデルランド17州を含めたブルゴーニュ全土を統治するブルゴーニュ公フィリップ3世(Philip the Good)(下図)の宮廷画家兼外交官として迎えられました。

 

 ヤン・ファン・エイクは当初リールに居を構えましたが、1429年にはブルッヘに帰り、死去するまでブルッヘで暮らしました。

 

 

・1426年、兄のフーベルト・ファン・エイク死去し、未完成の「ヘントの祭壇画」を引き継義ました。

 

・1427年、トゥルネー(Tournai)のギルドの招待でトゥルネーに赴き、ロベルト・カンピンロヒール・ファン・デル・ウェイデンと出会ったと考えられています。

 この二人は、ヤンと同じく初期フランドル派の開祖で、ネーデルランド・ルネサンスの巨匠です。

 

 さらに、同年、フィリップ3世とポルトガル王妃イザベル・ド・ポルテュガルの結婚をまとめるため、ポルトガルのリスボンへ使節団として赴きました。

 ヤン・ファン・エイクの役目はフィリップ3世が結婚前にイザベルを見られるように彼女の肖像画を描いて帰ることでした。

 

 ヤン・ファン・エイクのイザベルの肖像画はすでに失われ、コピーしか残っていません(下1枚目)。下2枚目は、ロヒール・ファン・デル・ウェイデンによるイザベルの肖像画です。顔が長くて東洋人のような風貌です。

 

 

 

 

 当時イザベルは31歳、フィリップ3世は3度目の結婚でした。フィリップは二人の妻を病気で亡くしており、子供もいませんでした。彼はイギリスとの関係を築くため、イギリスの親戚筋であるイザベルに白羽の矢を立てたのです。

 

 一方のイザベルは、18歳の時イギリスのヘンリー5世とお見合いをしましたが、うまくいかず当時としては未婚のままかなりの高齢になっていました。

 

・1428年、結婚使節団として再度ポルトガル・リスボンを訪れています。今回は、ペストの蔓延によって宮殿を訪問することができず、迂回を認め、9ヶ月の滞在になってしまいました。

 

・1429年、イザベル・ド・ポルテュガルを伴い、徒歩と船を使って無事帰国しています。フィリップ3世とイザベルはこの年に結婚式を挙げました。イザベルは結婚の後、すぐに妊娠しています。

 

1430  Portrait of a Man with a Blue Chaperon

 この作品は、ヤン・ファン・エイクの最初の肖像画です。ヤンは、宮廷の仕事だけではなく、富裕層からの個人的な絵画制作依頼も受けていました。特に、1430年代から肖像画を描き始め、斜め前(three-quarters view)の構図を開発するなど肖像画のパイオニアして活躍しました。この肖像画は世界初のthree-quarters viewです。素晴らしい出来栄えです。肖像画の傑作の一つだと思います。

 

 

1430 Saint Francis Receiving the Stigmata

 この絵は同一のものが2枚あり、サインはないもののヤン・ファン・エイクが描いたとされています。作品の中では、フランシスコ会の創設者であるアッシジの聖フランチェスコが聖痕を受け取るためひざまづいています。

 

 

1430 Crucifixion and Last Judgement diptych

 この作品は二連祭壇画になっており、タイトルの通り左に磔刑、右に最後の審判が描かれています。特に右パネルの地獄の描写(下図2枚目)は素晴らしい出来栄えになっています。

 

 

 

 1439 Portrait of Margaret van Eyck

・1431年、40歳くらいで、25歳の貴族出身のマルガレーテと結婚しました。下は1439年、マルガレーテが33歳頃の肖像画です。ちょっと神経質そうです。緑色の帯が胸を締め付けていますがこれでいいのでしょうか。エイク夫妻は、生涯に二人の子供を授かりました。

 

 

 ちなみに下の聖母像のモデルもマルガレーテだと言われています。この作品は1436年頃の作品ですが、二人は1443年に第一子が生まれているので、イエスはその子をモデルにしたのかもしれません。

 

 

 

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