- ヒエロニムス・ボス(Hieronymus Bosch 1450 - 1516)概説(その2)
- ヒエロニムス・ボスの中期の代表作品
- 中期(1485〜1500 / 35歳〜50歳)
- 1486 The Last Judgment(最後の審判)
- 1489 St. John the Baptist in the Wilderness(荒野の洗礼者ヨハネ)
- 1490 Visions of the Hereafter
- 1490 Ship of Fools(愚か者の舟)
- 1494 Death and the Miser(死神と守銭奴)
- 1500 The Wayfarer(旅人)
- 1490 Ecce Homo(エッケ・ホモ / この人を見よ)
- 1493 The Hermit Saints
- 1495 Christ Crowned with Thorns(荊の冠のキリスト)
- 1497 The Crucifixion of St Julia(磔刑にされる聖ジューリア)
- 1499 Adoration of the Magi(マギの礼拝)
- 中期(1485〜1500 / 35歳〜50歳)
- ヒエロニムス・ボスの関連記事一覧
ヒエロニムス・ボス(Hieronymus Bosch 1450 - 1516)概説(その2)
ヒエロニムス・ボスは、初期フランドル派のネーデルランドの画家です。彼は、人間の意識下に潜む欲望や罪を浮き彫りにするような、幻想的で怪異な作風の作品を生み出しました。
その異端さはウィリアム・ブレイクを彷彿とさせますが、ボスは上流階級の名士で、画家としても大変尊敬されていました。画風はダリやミロのようですが、ボスこそが元祖シュールレアリストです。
ボスは、欲と罪にまみれた人間と奇妙なハオブリッド生物が跋扈する終末のような世界を描いています。
そのため、一部の研究者は、彼はすごくペシミスティックな人物だったに違いないと考えています。
しかし、戦争やペストの蔓延などで、「死の勝利」がモチーフとして流行していたことを考えれば、終末的世界を描いたからといって、その人がペシミスト(悲観論者)であると言うことにはなりません。
一方、他の研究者は、ボスは生きていた時代の宗教観や世界観にのっとって作品を作っているのであり、特別なことは何もないと言います。
ほう、そうですか。では、なんで他の画家たちはヒエロニムス・ボスのような絵画を描かなかったのでしょうか?もし、特別ではないと言うのなら、なんでボスだけが異質な絵画を描いていたのでしょう?非論理的です。
ヒエロニムス・ボスはやはり異端の天才であり、極めてオリジナリティーの高い画家だったのでしょう。ボス自身も「『貧しい』とは他人の着想を真似して自分で何も生み出さない心のことだ」と言っています。
ヒエロニムス・ボスの作品は、ほとんどが16世紀の宗教改革運動による偶像破壊で失われてしまい、現在は8枚のドローイング とを含む16点の祭壇画(完全な作品は8点のみ)を含む30点弱の作品が残されているだけです。そのうち実際に彼のサインのある作品は7点にとどまっています。
ヒエロニムス・ボスの生涯は通常3つの時期に分けられます。
初期(1470〜1485)
中期(1485〜1500)
後期(1500〜)
今回はこの中で彼の人生の初期 についてお送りします。中期は1485から1500まで、ボスの年齢はおおよそ35歳から50歳くらいです。
ヒエロニムス・ボスの中期の代表作品
中期(1485〜1500 / 35歳〜50歳)
・1488年、38歳くらいの時に、父親が美術顧問をしていた慈善的宗教団体「Illustrious Brotherhood of Our Blessed Lady」の正式なメンバーとなりました。ボスは名士として活動しながら会の依頼で絵画の制作活動も行いました。
1486 The Last Judgment(最後の審判)
この作品は、三連祭壇画になっており、左のパネルがエデンの園、中心がキリストによる魂の審判、右パネルが地獄を表しています。
1489 St. John the Baptist in the Wilderness(荒野の洗礼者ヨハネ)
洗礼者ヨハネは、荒野でらくだの皮衣を着て腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べながら、人びとに罪のゆるしに至る洗礼を授けていました。
イエスも洗礼者ヨハネから洗礼を受けています。右隅にいるどう見てもちっちゃすぎる羊は、洗礼者ヨハネのシンボルで、キリストを表すとも言われています。
ボスの洗礼者ヨハネはかなり異質です。荒野というよりは、幻想的でのどかな風景の中に、怠惰そうなじいさんが寝そべっている構図になっています。
じいさんはぼーっと羊を眺めており(寝てるのかも)、羊は居心地が悪いのか、目を合わさないように隠れています。
上の作品は二連祭壇画で「1500 St. John the Evangelist on Patmos (パトモス島の福音者ヨハネ)」(下図)と対になっていました。
こちらは、ヨハネはヨハネでも、洗礼者ヨハネよりも格下のキリストの弟子のヨハネです。ヨハネはキリストの死後、パトモス島に幽閉され、そこで黙示録を書き上げました。右下の生き物はなんでしょうか?
1490 Visions of the Hereafter
この作品は四連祭壇画で、2枚が地獄、1枚がエデンを表現し、残る1枚は天使が魂を誘って天国へのトンネルを昇っていくところが描かれています。
1490 Ship of Fools(愚か者の舟)
1494 Death and the Miser(死神と守銭奴)
1500 The Wayfarer(旅人)
この二枚はおそらく三連画の左右のパネルを構成していたと見られています。中心のパネルは見つかっていません。
左パネルのタイトルは「愚か者の舟」で、下部分では暴食の罪を描いているそうです。
右パネルは強欲の罪を描いており、死神に差し出された金貨を強欲な病人が受け取ろうとしています。彼の背後の天使はキリストを指し示していますが、強欲な老人は気がつきません。緑の衣の老人は、病気になる前の強欲者です。チェストに色々な物を溜め込んでいます。
この三連画の下には「The Wayfarer(旅人)」(下5枚目)が連結されていたと考えられています。この作品では、老人が左の「放蕩」の家を通り過ぎ、右の「美徳」への道を歩もうとしています。ちょっと放蕩に未練がありそうですね。
1490 Ecce Homo(エッケ・ホモ / この人を見よ)
憔悴し、反省しているように見えるキリストをローマ市民が取り囲んでいます。写実性を重んじるルネサンス期に、ほとんど漫画のような人々の表情や仕草がとてもユーモラスで、キリストの断罪という場にそぐわない楽しげな作品に仕上がっています。
1493 The Hermit Saints
この作品は三連パネル画です。中心に洗礼者ヨハネ、左パネルには、砂漠で修行し、修道院の開祖とされる大アントニオス、右パネルには聖アエギディウスが描かれています。
1489年のゆるい洗礼者ヨハネに比べると少し苦労していそうなヨハネになっています。
1495 Christ Crowned with Thorns(荊の冠のキリスト)
キリストが荊の冠を被せられるところですが、イエスの視線がこちらを向いているため、どうも記念写真っぽくなってしまっています。
1497 The Crucifixion of St Julia(磔刑にされる聖ジューリア)
コルシカのジューリアは5世紀の人物でカルタゴの貴族の娘でした。カルタゴ滅亡後、奴隷にされ、信仰を捨てろと迫られますが、捨てなかったために髪の毛を全て引き抜かれて磔にされてしまいました。
キリスト教の聖人って、こんな人ばっかりですね。
1499 Adoration of the Magi(マギの礼拝)
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