- ラファエロのローマ時代と代表作品
- 1507 十字架降下 The Deposition
- 1508 ラファエロの間
- 1509 Sant'Eligio degli Orefici教会
- 1512 The Prophet Isaiah
- 1513 ガラテアの勝利(Galatea)
- 1513~1514 システィーナの聖母
- 1514 Sbyls
- 1515~1516 ラファエロのカルトン
- 1516 天地創造(Creation of the World )
- 1516~1517 聖セシリアの法悦(The Ecstasy of St. Cecilia)
- 1517 シチリアの苦悶(Christ Falling on the Way to Calvary)
- 1520 キリストの変容(Transfiguration)
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ラファエロ・サンティ(Raffaello Santi、 1483〜1520)は、盛期ルネサンスを代表するイタリアの画家、建築家です。レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロとともに、盛期ルネサンスの3大巨匠の1人に数えられています。
ラファエロの生涯は、1483〜1503年(20歳)までのウルビーノ時代、1504〜1507年(21〜24歳)までのフィレンツェ時代、1508〜1520年(25歳〜37歳)までのローマ時代に分けられます。
本項はラファエロのローマ時代の生涯と代表作品をまとめてあります。ウルビーノ時代とフィレンツェ時代の代表作品まとめはこちらからどうぞ。
▶︎関連記事 ラファエロの生涯と代表作品(前篇)
ラファエロのローマ時代と代表作品
ラファエロ・サンティ(Raffaello Santi、 1483〜1520)は、中央イタリアの都市国家ウルビーノ公国に生まれ、ピエトロ・ペルジーノに師事した後、独立しました。1504年からフィレンツェに移り、一時期レオナルド・ダ・ヴィンチの工房にも出入りしていました。
・1508年、25歳のラファエロは、建築家ドナト・ブラマンテの推挙で教皇ユリウス2世に招かれてローマへと居を移しました。
1507 十字架降下 The Deposition
本作はAtalanta Baglioniの注文で制作した祭壇画です。この作品からレオナルド・ダ・ヴィンチともミケランジェロとも異なる独自の構図が見られるようになったラファエロの代表作の1枚です。
1508 ラファエロの間
ラファエロは、教皇ユリウス2世からヴァチカン宮殿の4つの部屋の改修を依頼されました。この改修は長期間の間に断続的に行われ、ラファエロの死後も続きました。
この4つの部屋は通称「ラファエロの間」と呼ばれています。それぞれの部屋には以下のような名称があり、壁はラファエロと弟子たちのフレスコ画で飾られています。
・署名の間 (Stanza della Segnatura)1508〜1509
・ヘリオドロスの間 (Stanza di Eliodoro)1511〜1514
・ボルゴの火災の間 (Stanza dell'incendio del Borgo)1514〜1517
・コンスタンティヌスの間 (Sala di Costantino)1520〜1524
ラファエロが最初に手がけたのは、最も有名な「署名の間」です。中でも古代ギリシアの哲学者たちを描いたフレスコ画「アテナイの学堂」は、ラファエロの最高傑作とされています。一方、「コンスタンティヌスの間」はラファエロの死後、改修がはじまりました。
▶︎もっと詳しく! ラファエロの間のすべて
1509 Sant'Eligio degli Orefici教会
ラファエロは、ローマのSant'Eligio degli Orefici教会のデザインと内装を担当しました。
1512 The Prophet Isaiah
・1511年、ラファエロは、作業途中のミケランジェロによるシスティーナ礼拝堂の天井画を見て影響を受け、翌年、San't Agostino聖堂のフレスコ画「The Prophet Isaiah」を描き上げました。
これを知ったミケランジェロは、ラファエロに盗作されたと騒ぎ立てました。
1513 ガラテアの勝利(Galatea)
本作はローマ教皇の財務担当・銀行家アゴスティーノ・チーギの別邸ヴィッラ・ファルネジーナのフレスコ画です。
1513~1514 システィーナの聖母
「システィーナの聖母」については、作品よりも二人の天使の方が有名ですね。
・1514年、ドナト・ブラマンテが死去、後任としてサン・ピエトロ大聖堂の建築を任されました。しかし、この計画はほとんど進まず、未完成のまま1520年にラファエロも死亡しています。このプロジェクトは、 その後、ミケランジェロが引き継ぎました。
1514 Sbyls
本作品はサンタ・マリア・デラ・パーチェ教会のフレスコ画です。
・1514年、ラファエロはマリナ・ビッビエーナと婚約しました。しかし、ラファエロはこの婚約にあまり乗り気ではなかったようです。
1515~1516 ラファエロのカルトン
・1515〜16年、ラファエロは、システィーナ礼拝堂のタペストリーのための下描き(カルトン)を10枚制作しています。ラファエロのカルトンは7点が現存し、イギリス王室コレクションとなっています。出来上がったタペストリーは下書きを反転した状態になります。
タペストリーは当時芸術の頂点とされていた織物で、いまでもシスティーナ礼拝堂の特別な行事の時にだけ飾られます。下図は「奇跡の漁利」のカルトンとタペストリー。タペストリーはカルトンの十倍以上の値段がしました。
▶︎もっと詳しく! ラファエロのカルトンのまとめ
ラファエロは、この年、ヴァチカン宮殿のロッジア(中庭に通じる長い廊下)のデザインと壁画も手がけています。
・1515年、レオ10世の主治医であるヤーコボ・ダ・ブレシアの宮殿を設計しました。この宮殿は現存していません。
1516 天地創造(Creation of the World )
本作品は、サンタ・マリア・デル・ポポロ教会キージ礼拝堂のモザイク画です。
1516~1517 聖セシリアの法悦(The Ecstasy of St. Cecilia)
セシリアは音楽の女神です。この作品はボローニャの教会のために制作された祭壇画で、セシリアが天使の合唱に耳を傾けています。
1517 シチリアの苦悶(Christ Falling on the Way to Calvary)
・1518年、ラファエロはジュリオ・メディチの静養邸ヴィッラ・マダーマ(Villa Madama)を設計、この年に着工しましたが、2年後に死亡したため、完成には程遠く、当初のデザインとは異なるものになってしまいました。
・1520年、ブランコニオ・デッラクイラ宮殿を設計しましたが、この建物は、その後、サン・ピエトロ広場の工事で取り壊されてしまい、ドローイングのみが残っています。
1520 キリストの変容(Transfiguration)
ラファエロは数年前から「キリストの変容」を描いてましたが、完成せず、遺作となってしまいました。
・1520年、愛人マルガリータ・ルティとの過度な情事が原因で発熱し、37歳の誕生日に死去しました。
ラファエロは、生涯に多くの女性と関係を持っていましたが、特に親密だったのが「パン屋の娘」のマルガリータ・ルティでした。ラファエロは生涯に2枚のマルガリータの肖像画を描いています。ルティは「Madonna della seggiola」(2枚目)のモデルにもなっています。
ラファエロは生涯に400点以上の素描を残してます。また、デザインを版画家マルカントニオ・ライモンディと共同で版画にしています。彼らの版画は大変人気を博しました。
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