「ラファエロのカルトン」ってなに?
「ラファエロのカルトン」とは、1515〜1516年にラファエロ・サンティ(Raffaello Santi、 1483〜1520)がシスティーナ礼拝堂のために制作したタぺストリーの「下絵(カルトン)」です。
▶︎ 関連記事
下絵とは言ってもしっかりとした油彩画です。ラファエロはシスティーナ礼拝堂のために10点のカルトンを制作しました。10点のうち7点が現存し、イギリス王室コレクションとなっています。
「タペストリー」ってなに?
タペストリーとは、細い縦糸と太い横糸で模様を編みこんだ厚手の織物です。紀元前から存在しましたが、ヨーロッパには11世紀に十字軍が持ち込みました。
タペストリーは一見カーペットのようですが、壁にかけて使います。私も小学校の時、ニューヨークのクロイスター美術館で初めてタペストリーを見て「なんで絨毯を壁にかけているのだろう?」と不思議に思いました。
タペストリーは、壁にかけることによって、その模様や絵柄を楽しむだけでなく、隙間風を防ぎ、室内を寒さから守る役目も果たしていました。とくに石造りのお城は寒かったので、タペストリーは必需品でした。その後、タペストリーは、より簡便な壁紙に取って代わられていきます。
タペストリーは当時芸術の頂点と考えられており、富や権力の誇示、王侯貴族への贈り物に使われていました。15世紀まではフランスが一大産地(アラスやゴブラン織など)でしたが、その後、フランドルに生産の拠点が移りました。
ラファエロが下絵を描いたシスティーナ礼拝堂のタペストリーも、フランドルのピーテル・ファン・アールストの工房で織り上げられ、1517年に完成しています。出来上がったタペストリーは、カルトンが左右反転した絵柄になります。そのためカルトンのイエスは左手を挙げた姿で描かれています。
タペストリーは大変高価で、ラファエロのカルトンの15倍の価格でした。現在でもこのタペストリはシスティーナ礼拝堂の特別な行事の時にだけ飾られています。下の写真の下段に掛けられているのがラファエロのタペストリーです。普段はしまってあります。
▶︎ 関連記事 システィーナ礼拝堂フレスコ画のすべて
「ラファエロのカルトン」の一覧と解説
ラファエロのカルトンは聖ペテロと聖パウロの生涯が題材になっており、聖ペテロの生涯をモチーフにした作品4点、聖パウロの生涯をモチーフにした作品6点で構成されています。
「聖ペテロの生涯」を題材にしたカルトン
・「奇跡の漁り」
・「ペテロに天国の鍵を授けるキリスト」
・「不具の男の快癒」
・「アナニアの懲罰」
「聖パウロの生涯」を題材にしたカルトン
・「聖ステファノの石打」(現存せず)
・「パウロの回心」(現存せず)
・「エリマスの失明」
・「ルステラの犠牲」
・「牢獄の聖パウロ」(現存せず)
・「アテネでのパウロの説教」
聖ペテロのカルトン
聖ペテロ(ペトロ)はイエスの弟子の一人です。漁をしているときにイエスに声をかけられ弟子になりました。弟子の中ではリーダー的な存在でしたが、一度イエスを裏切っています。その後反省し、最後はネロによって磔にされ、殉教しました。
ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂は聖ペテロの遺骨を収容するために建てられた教会であり、現在のデザインはミケランジェロによるものです。2013年にはペテロの遺骨が公開されましたが、真贋が現在でも議論されています。
奇跡の漁り
イエスとペテロの出会いの場面です。ペテロは漁をしている最中に説教に行くイエスと知り合いました。
ペテロに天国の鍵を授けるキリスト
マタイによる福音書には、「イエスはペテロに天国の鍵を授けた」とあり、死者が天国を訪れた際に扉を開くのはペテロの権限であると考えられています。鍵を与えられてることからペテロはイエスの代理人であると認識されており、「イエスによる天国の鍵の授与」は多くの絵画のモチーフとなっています。
不具の男(ストルピオ)の快癒
ペテロはイエスの代理として病気の治癒などの秘跡を行いました。とくに歩けない人を歩けるようにするという行為はペテロ、パウロ共に行なっています。目で見て一番わかりやすいので、聴衆受けがいいのでしょう。私なんぞはクララが立っただけで感動したものです。
アナニアの懲罰
アナニアと妻のサッピラは、畑の一部を売ってお金をつくり、それを使徒に寄付しました。彼らは売ったお金の一部をごまかし、全額だと偽って寄付したためペテロに責め立てられます。
言っておきますが、アナニアのお金です。寄付しようがしまいが彼の勝手であり、「ごまかした」と言われる筋合いのものではありません。ペテロは「嘘をつき、神を欺いた」とアナニアを責めていますが、彼自身イエスを裏切ったことがあるんだから他人を責めてはいけません。
結局、かわいそうなアナニア夫妻はペテロに責められ死んでしまいます。本来ならペテロは地獄行きでしょう。でも、彼は天国の鍵を持ってますからね。世の中、既得権を持つものが勝つという教訓かもしれません。
聖パウロのカルトン
パウロは、キリストの復活後に回心した聖人です。ユダヤ教の熱心な信者だったパウロはキリスト教を迫害していました。ところが、ある日、キリストが現れ、「なぜ私を迫害するのか?」と問いました。
その後、彼は目が見えなくなってしまいましたが、改心すると目からウロコのようなものが落ちてまた見えるようになりました。これが「目からウロコ」の語源だそうです。キリスト教に回心したパウロは各地で布教し、ローマで捕らえられてネロに殺されてしまいました。
聖ステファノの石打(現存せず)
ステファノは、ユダヤ教の人々を議論でやり込めたために恨みを買い、石打ちの刑で殺害されたキリスト教初の殉教者です。ユダヤ教の熱心な信者だったパウロもステファノの石打ちに賛成しています。
パウロの回心(現存せず)
パウロはキリスト教の迫害をイエスに責められて失明しました。しかし、アナニアの祈りによって、目からウロコのようなものが落ちてまた見えるようになりました。アナニアは聖人パウロの恩人です。なのにペテロに殺されてしまうなんてかわいそうです。
エリマスの失明
エリマス(エリマ)は、キプロス島の総督のおかかえ魔術師です。パウロとバルナバが総督を回心させようとしたところを邪魔したとして、パウロによって失明させられてしまいました。邪魔したと言われても、パウロとバルナバルこそ魔術師の仕事の邪魔をしてるんじゃないんでしょうか。
ルステラの犠牲
パウロはルステラで歩けない人を歩けるようにするという、秘跡の常套手段を見せています。この秘技により、二人を神だと思った民衆は生贄を捧げようとしました。下の絵では民衆がヤギだの牛だのをパウロに捧げようとしています。
ところが、ユダヤ教の信者に煽られると民衆の態度は一変し、彼らを捕らえて石打ちにしてしまいました。パウロはバルナバと命からがら逃げのびました。
牢獄の聖パウロ(現存せず)
アテネでのパウロの説教
パウロは伝道の途中でフィリピ、エルサレムなどで複数回逮捕され投獄されています。最後に逮捕された時、パウロはローマ皇帝の判断を仰ぐべくローマに移送されました。
パウロはローマで数年に渡り布教活動をしていました。しかし、紀元64年、ローマで大火事が起こると、皇帝ネロはこの大火事をキリスト教徒のせいにして、パウロを含む大勢の信者を殺害しました。
関連記事